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僕のZ1-J

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉はたいてい冗談で言うもので、本当にそんな気持ちで物を買うことはそうそうない。

僕が初めて「清水」を経験したのは浪人生の時だった。山小屋の住み込みバイト代を叩いて、僕は25万円のSONYの業務用カメラを買った。

買った場所は中野にある、フジヤエービック。撮影機材専門店だった。煌々と蛍光灯が光っている店内に歩く人たちは、一様にチェック柄のシャツにメガネをかけていて、体型が良かった。ひょろっとしている坊主姿は僕一人だった。

何も買うつもりはなかったのだけど、ショーケースにあるそのカメラに僕は一目惚れした。やたら大きくて、黒光りしていて、わけのわからないボタンがたくさんあった。

Z1-Jと呼ばれるそのカメラは、その当時すでに最新機種ではなく、誰かが使っていたこともあって安くなっていた。元値70万円のカメラが、ちょっと背伸びすれば買える場所にあるのだ。

浪人が終わったら、映画監督になるつもりだった。この浪人時代をビハインドではなく、アドバンテージに変えたかった。

僕はあの日、25万円で情熱を買ったのだ。悪くない買い物だったと思う。

 

・・・

 

僕は山小屋のバイトの残りを握り締め、人生初の海外旅行に行った。

行き先は、ハワイ島だ。

山小屋でよしもとばななのサウスポイントを見て、僕は決めた。ここに落ちる夕日を映像で収めてやると。旅の出来事が強烈すぎてカメラのある旅行の日々をすっかり忘れていた。今思い出せばびっくりする光景だ。

コナ空港の荷物受け取り所から、ナイキのエナメルバッグがやってくる。「FRAGILE!」の赤いシールがこれでもかと貼られているそのバッグの中に、緩衝材に包まれたカメラがあった。ついでに、4キロ近い三脚まで持って行ったのだ。

海を眺めていたって、なにをどうどう撮ればいいのかわからない。それでも、ただカメラを回しているだけで、近くにいる外国人がしきりに「nice camera!」と絶賛してくれた。

めちゃくちゃな映像を撮って、半年以上かけてハワイの映像を完成させた。
フウロはその映像を観て、不思議なことをする人だと思ったそうだ。
今では恥ずかしくて見られないよう編集だったが、今見ても映像はいい。映像だけは、いい。

大学に入った僕は、このカメラを使って何十本も映像を撮った。いつのまにか購入代金くらいは稼いで、そのお金を使って念願の映画制作に注ぎ込んだ。

どんなにやる気があっても、そのやる気が空回りしてしまえば結果は出ない。情熱だけではうまくいかないものがあると知った。処女作となるはずだった映画は出来上がらなかった。大きな挫折をし、いろんなものを失った。

残ったものはカメラとフウロぐらいだ。あの時、湯煙にまみれながら、刻々と状況が悪くなっていく様を、このカメラはどう見ていたのだろう。ほろ苦い記憶とカメラはあまりに密接にくっつきすぎていて、それからそのカメラはバッグで眠るようになった。時代はDVテープからSDカードの時代へと変わって来ていた。

・・・

6年ぶりに引っ張り出したカメラは、あの時の色艶のままだった。手にはめると人肌のようにぴったりと収まった。最初はあんなに分からなかったボタンたちは、今では目をつぶっても操作ができる。使っていた時には、カメラレンズがカールツァイス製だったことも知らなかった。

スイッチを入れると、あの時と変わらない形で起動したい。ファインダーを除いた感じが大好きだった。隣で見ていたフウロが「このカメラを観るとそうちゃんっていう感じがするね」と笑った。これは僕が映像を撮ろうと決めてからの僕を支えてくれた相棒なのだ。

愛着があるからこそ、こうして眠らせておくのは不憫だと思った。

新しい誰かがこのカメラを愛してくれるといい。カメラは数万円の値がついて、明日僕の手を離れることになった。

ハワイ島に連れて行った時から9年経って、僕はフウロと同じ光景をもう一度見に行った。フウロと出会う前からこの子は一緒だったのだ。

お別れするまで、お別れは形にはならない。
心の端っこにあるけれど、そのままのものはいつしかトゲのようになり、その場所を触らないようにするなっていく。それってすごく、寂しいことだ。

別れることの寂しさよりも、気持ちの整理をつけたことの清々しさと、このカメラの新しい行先に希望を込めて。

ありがとう。いってらっしゃい。

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