毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

夫婦世界一周のメリット|夫婦で世界一周すると離婚する?についての僕の見解。

はじめに

世界一周旅行から早2週間。

本当はもっといろんな想いを記事にしたかったけれど、帰国してからの毎日は驚くほど忙しく、目まぐるしかった。

僕は日藝での講義の準備に余念が無かったし、フウロは部屋の整理や旅行用品のフリマ出品や、ランニングなどをしていた。

それでも、夜は時間が空くわけで、さあブログを書こうと思った僕たちに突きつけられたのは、「1月8日までWi-Fiが繋がらない」という環境だった。

帰国すぐネット開通の申し込みをしたのだが、年末繁忙期ということもあり(いつも繁忙期と言われる気もするが)工事に業者さんがきてくれるのは最短で1月8日から。とのこと。

粘りに粘ったところ、12月25日までWi-Fi難民状態は短縮された。

僕とフウロは、「今年のクリスマスプレゼントはWi-Fiだね。」と喜び合った。

そんなこんなで、時々テザリングしながら、こうやってブログを書いている。

いよいよ本題。夫婦で世界一周することのメリットについて、書いておこうと思う。

夫婦で世界一周するということ

僕たち夫婦には、夫婦で世界一周することはメリット云々以前に、やらなければいけなかったことだと感じている。

僕たちは、大学1年から付き合い始め、同棲2年。結婚後3年間一緒に暮らしている。

お互いものづくりの現場で、お互いの仕事の向き合いかたや、ストレスが溜まった時の雰囲気まで、同世代の人たちと比べてみても、お互いの時間を長く過ごしてきた方だ。

それでも、夫婦で世界一周をするということは、今までの密接な時間など何も無かったかのように、特殊なものだった。

2,700時間もの間ずっと妻と一緒にいるのだ。

今までみたいに、「行ってきます」もなければ、「ただいま」もない。

僕の知らないところで夕食を作っていることもないし、僕の知らないところでフウロの機嫌が悪くなっていることもない。

全ての現実を二人で2,700時間浴び続ける。

それが、夫婦で世界一周するということなのだ。

これはどういうことか?

勘の鋭い人は気がつくかもしれない。

これは夫婦によっては、地獄のような時間だ。

ふと、「野ブタ。をプロデュース」という小説のことを思い出した。

細かい話は忘れてしまったけれど、学校にいる時の自分を繕っている主人公が、ポテンシャルはあるのに冴えない「野ブタ」を学校内のスターにすべくプロデュースしているうちに、自分のメッキが剥がれ始める…というような話だった。

夫婦生活も、そういう部分があると思う。

会社の自分と、夫の自分。親の子の自分。親戚の自分。僕たちにはないけれど、お父さんとしての自分もある。

人は無意識のうちに自分を繕い正解を探し、「あるべき姿」をなんだかわからないものに重ねて生きている。

話を戻して、世界一周だ。

世界旅行している時は、文字通り極限状態だ。

飛行機乗るにも一苦労。このバスに乗ればいいのか、乗らない方がいいのか。

僕たちは騙されずに目的にたどり着けるのか。そこではATMはあるのか。スキミングされないのか。

後ろからいきなり男が襲ってきたらどうしよう。毒ヘビはいるか?何時になったら日が暮れるのか。

1日いくらで過ごせるんだろう。部屋にゴキブリは出ないか?フウロも僕も、体調は大丈夫か。

まるで濁流のように不安が押し寄せる中では、あるべき姿なんて問うてる暇はない。

あるのは、「今そこにある姿」でしかないのだ。

今まで繕ってきたものは、世界一周の中には全て流される。

僕たちの旅は、行く場所を決めるよりも、その国で自然と出会ったものや運命を信じて感じる旅だった。

だからこそ、余計に前情報は無かったし、あってはいけないものだった。

必然的に、不安の濁流は何倍もの勢いで日々襲ってくるのだ。

僕は旅に出るまで、とても不安な気持ちで読んでいるブログがあった。

それは、「夫婦 世界一周」で調べるとだいたいの確率で出てくる、「夫婦で世界一周すると離婚する」という記事だった。

まだ世界一周のことをなにも知らない僕には、このブログは行く末を暗示しているようで、ひどく不吉に移ったし、怖かった。

だからこそ、僕のブログを見る人は少ないとは思うが、世界一周をして帰ってきた僕の意見をここで言っておきたいと思った。

僕が思った意見はこうだ。

世界一周旅行は、夫婦のあり方を見つめ直す素晴らしい機会であって、夫婦生活にいい影響しか及ぼさない。

世界一周をすることによって離婚した夫婦は、たぶん世界一周をしなくても離婚する夫婦だったんだろう。

だから、夫婦で世界一周をしようと思ったのなら、絶対にした方がいい

夫婦で世界一周するメリット

 

喧嘩がなくなる。

帰国後、電車から降りて改札口を通る時、フウロがふと言った。

「そういえば、喧嘩しなくなったよね。」

そういえばそうだ。

イラつくことはあるし、意見の違いを言い合うことはあるけど、喧嘩はない。

むしろ、喧嘩の仕方を忘れてしまった感じだ。

世界一周という言葉がやっていることをぼかしてしまっているが、ようはただ一緒に2,700時間過ごしているというのが世界一周だ。

その状況に、「極限状態」や「見たことが景色」が尾ひれにくっついているような形なのだ。

目が覚めるような景色も、人生を揺さぶるような体験も、4ヶ月行った旅の中には数えるくらいしかない。

一番異常な状態は、「ただ自分と同じ行動をそばでしている、フウロの存在」なのだと思う。

ハワイ島で再開した恵子さんの言葉を思い出す。

「夫婦は、MEではなく、USでなければならないのよ。」

わたし、ではなく、わたしたち。一人称が消え、家族という大きなくくりを自分のものとして捉えるようになることが大事。

この感覚こそが、世界一周によって得ることができたものだと思う。

フウロのことも自分のこととして感じられる。

それでも、僕にはフウロの気持ちがわからないこともある。近くにいればいるほど、僕とフウロの違いに気がつくのだ。

だからこそ、時々訪れる「US」に奇跡を感じ、愛おしく感じ、その感覚を大切にして生きていく。

そこにあるのは、旅の非日常や極限状態を超えた先にある、究極の現実なのだと思う。

世界一周でさえも、自分の知らない土地で、知らない食べ物を食べ、寝るだけの日常の一つなのだ。

ここでUSになれるか。なれないか。

本当の家族になれるのか。

それが世界一周という行動によって、明らかになるのかなと思った。

 

新しいものさしができる

2個目のメリットは月並みなことだけれど、やっぱり大事な感覚。

世界一周によって、僕の中にものさしの種類が増えた。

日本で誰も疑わずに言われていることの嘘もわかったし、外国が天国のように語る言葉も嘘だということに気が付いた。

たかだか4ヶ月。1カ国長くても一週間しかいない中では、「本当の現実」になんか気が付けない。

むしろ27年過ごしている日本でだって、みんな知らないことばかりだ。

大事なのは、細かい現実を知ることよりも、その「矛盾」や「おかしさ」に気がつくことだと思う。

世界一周は本や人の話のフィルターを通さない、確固たる自分の視点を持つことができる。

その想いだけが本物だ。

実はこの自分の視点を持つことができている人は、生活が不便な人たちの方が多い気がした。

広告が暴力的に入り込んできたり、ネットやメディアが伝えるシンプル明快な解でわかった気になりやすい日本よりも、Wi-Fiもなく停電になりやすい世界で、今日を生きることに必死な人たちの方がその理に気が付いている気がした。

たとえその考えが「間違っているもの」であってもいいんだと思う。

大事なのは、正しいか間違っているか、ではなく、自分の考えか。だ。

誰でさえもその正しさなんて教えてはくれないし、正す資格もない。

その人の人生を誰も保証できないし、誰も責任が取れない。

「お金があれば幸せ。なければ不幸」ではない。人の幸不幸は誰かが値踏みできるものではない。

その感覚を自分が持ち、夫婦で共有しあえること。

これは世界一周をしたからこそ気がつけたものだと思う。

世界一周する期間は、夫婦でまちまちだ。

僕たちは中でも最短レベル。たった4ヶ月という期間だった。人によっては1~2年行く人もいる。

僕たちは短いからこそ感じたが、「目に見える期間はさほど問題ではない」と感じた。

僕たちにとっては4ヶ月がもっともベストな期間だったのだ。

「せっかく行くならなるだけ長く!」と思うものだし、僕もそう思っていたけれど、自分たちに合った期間だけ行けば十分だと思う。

期間はライブのようなものだと思う。

3時間超のライブが素晴らしい時もあれば、たった30分だったけど胸がじんじんするほど感動することもある。

実は、意思がしっかり繋がっている期間は、目に見えている期間よりもずっと短い。

僕はそれ以外の時間を「死んでいる時間」だと思い、その先に残っていくわずかな時間こそが「生きている時間」だと思っている。

3時間のライブでも、30分のライブでも、印象に残った曲は2曲くらいに集約される。その感動レベルは大抵同じくらいだ。

自信がつく

世界一周の最後のメリット。

これまた月並みなことだけれど、やり遂げたという自信がつく。

でも、この自信の中身は、実は「旅をやり遂げた」ということではない。

「旅をやるために予算を定め、節制をし、ここにしかないタイミングを逃さずに実行できたこと」への確かな自信を得ることができる。

実は、世界一周の感動は出発するタイミングで半分くらい押し寄せる。

世界一周している期間は夢中で、ぼんやりしているものだ。

旅を終えて、何もせずにじっと考えごとをしていると、ようやくそのことの凄さに気がつく。

自分が節制のために擦り切れるまで履いたチノパンのことや、会社で幾度となく誘われた飲み会を断ったことを思い出し、端っこにかけてあるサハラ砂漠で買った絨毯に目をやる。

「あの苦しみがこの絨毯になったのか。」

不思議な気持ちで胸がいっぱいになる。

世界一周への道が険しくない人なんていない。特に、夫婦で旅をすると決めたら覚悟は何倍にもなる。

そのお金があれば、家を買うこともできるし、新車だって買える。フウロのアトリエだって作れたかもしれない。

でも数ある選択肢のなかで、僕たちが今やらなければいけないことに狙いを定め、他の選択肢を捨て旅に出た覚悟は、それをやり遂げた時に何倍にもなって帰ってくる。

きっとこの感覚は、これからの僕たちの挑戦の傍にずっとあって、いつまでも応援してくれるんだろう。

「君が27歳の時に足掛け9年かけて達成したものは、君を決して裏切らない。」

僕にとって、この気持ちにさせるものは世界一周だったけれど、これは「世界一周でなければ得られないもの」ではないと思う。

きっと、どんな方向性のものでも一緒だろう。

夢の最高峰。宇宙飛行士のことを思い出す。

「宇宙から地球の青さを見たい。」

夢の始まりがそれだったとしても、宇宙飛行士が実際に宇宙に行って、まん丸の地球を見た時に感じるものが、今なら少しわかる。

真っ青でビー玉のように見える地球の美しさは、きっとその人が今まで写真やインスタで見た地球とさほど変わらない。

きっとその人の目には、地球よりももっと美しいものが見えている。

それは、人生の美しさだ。

網目のように掻い潜って、子供も家族も大切だけれど宇宙飛行士になることを選んで、自分の夢に向き合い追いかけてたどり着いた場所に見えるのは、「人が生きる」ということの素晴らしさだと思う。

宇宙飛行士の感じる何千分の一くらいの感動かもしれないけれど、世界一周という夢もまた、そういう類の感動をもたらしてくれる。

夫婦でそれ感じられるところを考えると、宇宙飛行士の感動の100分の1くらいまでは感動レベルをあげてもいいかもしれない。

行こうと決めたのなら、行こう

これは僕が感じた世界一周の価値。

でもきっと、行った人の中には、その人だけの何かがきっと生まれるはずなのだ。

もし行きたいと思っているのなら、その気持ちは世界一周でしか満たすことはできない。

でも、世界一周の形は、それぞれだ。

もしそれがたった一週間の超弾丸トラベルだったとしても、3年間じっくりコースだったとしても、その人がそれと決めたものなら、きっと何かが残る。

もし逆に、誰かが言った一言で盲目的に世界一周を求めていたり、夫婦のどちらかだけの想いが強いまま世界一周に発とうとしているのであれば、一度周りを見直してみてほしい。

世界一周自体には、何もない。

世界一周は言葉であって、やれば問答無用で人生のなにかをもたらしてくれるようなものではない。

世界一周で得られる素晴らしさは、決して「非日常の素晴らしさ」などではなく、興ざめするほどの現実だ。

だからこそ、本当の意味で魅力的だし、夫婦で始めた世界一周旅行はきっと帰国しても終わらない。

そこに価値を見出す人は、ぜひ世界一周をしてみてほしいと思う。そして、あなたの感想を聞かせてほしい。

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