残り4時間半で世界一周が終わりを迎える。
成田に向かう機内で、その瞬間は突然訪れた。
PUMPEEのタイムマシーンのメロディが耳に届くと、涙が止まらなくなった。
世界一周が終わるんだ。
そのことが実感に変わった瞬間だった。
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旅行が終わってしまう寂しさや、うーちゃんの亡骸と対面することの悲しさで出た涙ではなかった。
その瞬間、僕の頭の中で走馬灯のように走り抜けたものは、前の会社で毎日を過ごしていた僕や、旅行のために常に節約をした僕や、フウロと一緒にいろんなことを我慢した時の思い出だった。
今なら笑えることでも、やはり世界一周を実現させる道は長く、苦しかった。
フウロには、夫婦で世界一周をするのではなく、一人で行ってくれば?と言われたこともあった。
でも、それでは意味のないことだったのだ。
自分が描いた夢に向かって勤勉に取り組んで、いろんな物を犠牲にした上に実現した時の、苦味を伴った感動が涙となって溢れ出したような。
この感覚は、夫婦で作った披露宴フェス以来。
人生で2回目だった。
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終わる今になって思う。
夫婦で世界一周に行くことで生まれる一番の財産は、フウロと過ごすかけがえのない日々のありがたさに気がつくことだ。
うーちゃんの死でさえも受け入れ、乗り越えられたのは、傍に同じ悲しみを共有できる人がいたからだった。
この4ヶ月の間。
僕たちは片時も離れずに二人でずっと時を共有した。
お互い1回ずつ体調を崩したこともあったけれど、そんなときにはお互い補い合って、大きな怪我なく旅路を終えることができた。
この経験は僕たちのこれからの人生の大きな支えになるだろう。
これからも僕たちは不確定な海に乗り出し、ちょっと無理めなことに挑戦をするだろう。
良いことも悪いこともあるのが人生だ。
世界一周みたいな最高な経験の脇にうーちゃんの死が添えられるように。
でも、その日の人生を愛おしく思って生きていたい。
そして、フウロと一緒に僕たちの見える世界を鮮やかにしていきたい。
・・・
最後に、まがりなりにも夫婦での世界一周を実現した僕から、これから世界一周を目指す人たちにメッセージを残しておきたい。
世界一周は絵に描いた餅じゃない。
外車一台分の価格で叶えることができる、すぐそこにある夢だ。
同時に、世界一周は虚像だ。
世界一周という響き以上の何かがあるわけじゃない。
観光地をみて回ることも様々な国を見ることも、いつもの旅と同じ。
世界一周だから何かが特別に生まれるということはなく、それ自体の中身は空っぽだと痛感した。
中身を作るのは、自分だ。
僕は世界一周を叶える生活の中に、夢を叶えるための選択の重要性を見つけ、ハワイ島でのうーちゃんの別れに人生の儚さに出会い、恵子さんと岸さんに家族の素晴らしさを教わった。
どれもこれも、”世界一周だから”できたことではない。
でも、僕の人生の中で、世界一周が自分にとって必要だと思って、全力で実現したからこそ出会えたことでもある。
振り返れば、僕たちのこれからの人生に「必要だった」ものが、この世界一周中にたくさんもたらされた。
世界一周をすれば得られるものではないけれど、世界一周をしなければ得られないものがある
もしあなたが、自分の人生にとって世界一周という選択が必要だと思う何かがあるのなら、全力でやってみてほしいと思う。
旅行後にはあなたはきっとかけがえのないものを手に入れているはずだ。