世界一周旅行を終え、日本に帰国し、そろそろ1ヶ月が経とうとしている。
すでに旅自体の記憶は「過去」のものになりつつあり、僕とフウロは日本の慣習や食べ物にもすっかり慣れ、あたかも世界一周なんて「なかったこと」のように毎日を暮らしている。
それでも、僕たちの中にはあの世界一周で得たものが染み付いている。
それは今でも僕たちの大切な財産として残っている。
世界一周したら何が残るのか?
僕はその問いに対して、ずっと「世界一周自体にはなにもない。あるのは心の成長だ」ということを言ってきた。
でも、ここにきて一つだけ、世界一周で身についたかもしれないと思える、具体的な能力に気が付いたので、それを残しておきたいと思う。
それは、情報探索能力の圧倒的な向上だ。
・・・
日本に帰国して、家族のLINEグループでやりとりをしているとき、兄に質問された。
「草作、ふるさと納税の税金控除が開始されるのいつか知ってる?」
僕はふるさと納税をしていないし、控除のタイミングについては知らなかった。
だからサクッとネットで調べ、検索上位に上がったページを確認し、論点をまとめて伝え、念の為URLを載せた。
「ありがとう。探してもなかなか出なかったんだけどな」
兄に言われてハッとした。
そういえば、わからないことを探しても見つからないという経験をほとんどしていない。
思い当たるのは、トゥヴァの観光情報と、ニウエの宿の情報くらいだ。
それが、この能力。
わからないことを最短で分かるようにする能力だ。
・・・
思えば、世界一周旅行中は、わからないことの連続だった。
わからないことを無くそうと「地球の歩き方」を持っていく人も多いと思うが、13ヶ国分の本を持っていくスペースもないし、ああいう類は電子書籍だとまるきり機能しない。
そして、本当に知りたいことは本に書いてないことばかりだ。
英語圏ならまだいい。
ロシア語やアラビア語となると、完全にお手上げだ。
でも、不思議なことにそんな場所に言っても、旅人は生きていくことができる。
そういう時に使っている脳は、言語から理解しようとする脳の部分ではなく、もっと感性が大事になる部分。
いわゆる勘と呼ばれるやつがとことん鍛えられる。
脳科学の先生が言っていたが、勘とは自分でも意識できない昔の体験などから導き出した答えによって導かれることが多いらしい。
根拠を言語化することはできなくても、正しいことは体が知っている、というような状態。
もちろんその勘が間違っていたりすることもあるが、その部分を鍛えに鍛えていると、言語によって伝わったり調べれば見つかる状況を「楽勝な状況」と良い意味で勘違いできるようになる。
日本で知りたい情報のほとんどは、調べれば見つかるようなものばかり。
だから、帰国してからはいろんなことがとても「かんたん」だ。
気になることは、調べればすぐに出てくる。
ネットであれば、文字の打ち方や並び順によって見つかることもあるし、本を開けば見つかることだってある。
ネットならネット代を払っている限り無料で使える。本だって買うと高いけど、図書館に行けば無料だ。
行動すればそれが勘に頼らずとも手に入れられる状況のありがたさ。
しかし、日本でずっと生活している中ではそのことの価値に気がつくのは難しい。
世界一周をしている長期間で、体がそのありがたさを知ってくれる。
それは世界一周がもたらす恩恵そのものだと思う。

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