毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

タイの少数民族との出会い。僕は何者か。

世界一周中、もっとも印象に残っている瞬間を挙げるとしたら、フウロも僕も間違いなくトゥヴァの大草原と答えるだろう。

それぐらい、トゥヴァで見た光景は素晴らしかった。

美味しいものを食べ、楽しい空間に出向くだけでは味わえないものがそこにはあった。

旅行を初めて10日も経たないうちに出くわした異空間の陽炎が消えないまま、入国したタイ。

一日目を過ごすと、何もかもが物足りなく感じてしまっていた。

確かに飯はおいしい。一食100円ちょっと価格も魅力。

でも、ご飯だけをとるのであれば、日本で食べるタイ料理を凌駕していると言えるほどの旨さではなかった。

カオサンの喧騒は沖縄の国際市場のようで、既視感を拭い去ることはできなかった。

喧騒に包まれている時に頭をよぎるのは「スマホ」というキーワード。

スマホがこれほどまでに世界を変えているとは、思いもしなかった。

トゥヴァでもタイでも、スマホはどこにでも顔を出した。

画期的な道具によって、僕たちの旅も危険なく失敗なく進む。ちょっと気が向けば日本にいる親にビデオ通話だってできる。しかも無料で。

しかし、その一台の機械によって旅人たちが求めてきたようなその土地らしさがどんどんなくなっていってしまっているのも事実だ。

「バンコクに飽きちゃった…」

フウロがそう呟いたのは、タイに来て3日ほどたったときのことだった。

あまりに早い、と思いながらも、実は僕も同じ気持ちだった。どこか自分が義務感で一日の予定を埋めようとしているのにも気が付きはじめていた。

僕たちはチェンマイで、民族の土地を巡るツアーを予約することに決めた。

少し値は張るけれど、それをすることで既視感のないタイに出会える気がした。

 

・・・

 

僕たちが予約したツアーは、バロン族・リス族・アカ族・カレン族・首長族の部落を巡る民族ツアー。日帰りだ。

「日本語のガイドが付く」というキーワードに若干の不安を持ちながら、早朝宿に迎えに来た車に乗り込む。

スズキのバン。珍しい。

日本のツアー会社なので日本人ガイドかと思っていたら、タイ人の女性だった。

クロイさんと名乗るガイドさんは日本語はまあまあ、でも、人柄の優しさと情報量がちょうどよかった。

17歳の子を持つ日本語が達者なママ。かっこいい。そしてフウロよりも10センチほど背が低い。

民族の部落があるのはチェンマイ市街から2時間ほど行った森の中。

それまでクロイさんにチェンマイの歴史について軽くレクチャーしてもらう。

チェンマイは昔ラーンナー王朝という、バンコクは昔違う国だったこと。ミャンマーと戦争をしてタイが勝ち、チェンマイはタイの領土になったこと。

日本なら江戸時代末期。250年前のできごと。

トゥヴァの時にも思ったけれど、世界の国の成り立ちは意外に浅い。いつの時代にも戦争があり、勝者と敗者、そして従属している国は翻弄されながら国は成り立っている。

チェンマイには、バンコクにはない空気がある。どこかおっとりとしていて、愛嬌がある。

今は同じ国ということになっているけれど、生まれ持つものは違うんだろう。

タイは現在77県に別れている。77個の小国の集まりなんだなと思うと、タイという国のことが朧げながら見えた気がする。

チェンマイは日本でいう地方都市のようなもの。

中心地に住んでいない限り、足となる車やカブが必需品になる。クロイさん曰く、

「タイは日本車が9割。あとはフォードとかが多いね。」

チェンマイを含む北部で人気な車種はトヨタ。山道が多いので丈夫なトヨタが好まれるらしい。

都心近く、中部の方では日産とホンダが多いとのこと。

僕が興味深く思ったのはISUZU製の車の多さ。

ISUZUといえばトラックのイメージ。日本では1993年に乗用車事業からは撤退しているが、ここタイではむしろ最盛期と言えるほどにISUZU車が走っている。

チェンマイを走るソンテウも全てISUZU製。

信号で止まったりすると、日本よりもバラエティに富んだ見本市みたいになる。

車はグイグイと進み、山道に入っていく。

 

・・・

 

あまりの悪路で頭がガンガンしてきたころ、ようやく最初のバロン族の部落に到着した。

森の中に、少しひらけた土地があり、家がポツポツと建っている。

人気の感じられないシンとした空気に、時折鳥の鳴き声が聞こえる。

ここで民族の人たちが住んでいるのか。

程なくして民族衣装を来たおばあちゃんたちがちらほら見え始める。

若い人たちは日中トウモロコシの収穫に行っているらしい。

入り口付近のおばあちゃんが家の奥から商品を持って来て、地面に並べ始めた。

色あざやかな織物商品の数々。全て手縫いで作られているらしい。

ポーチは一つ50バーツという。

二つほど購入すると、家の中を見せてくれた。

木製の階段を上がり、中に入ると、室内はかなり暗かった。

ワックスでピカピカに磨かれた床は少し生ぬるく、床には何も置かれておらず、きっちり整理されていた。

おばあちゃんはおもむろに壁にかけられていた民族楽器を手に取り、爪弾いてくれる。

持たせてもらうと、ずっしりと重かった。大きな樫の木をくり抜いて作ったような密度がある。

壁にかけられている写真には、おばあちゃんを若くしたような女性が写っている。

あなたですか?と聞くと、これは私のお母さんだよ。と答えた。

おばあちゃんのお母さんが生前撮った写真はこの一枚だけだったのかな…。そんなことを思いながら、部屋をぐるりと見回す。

バロン族の部落には、ここ最近電気が通るようになったらしい。それでも、水はまだ地下水をあげているそうだ。

ここで生まれ、育っている人がいる。

僕の頭の面積がまた少しだけ広くなった気がした。

 

・・・

 

カレン族、リス族については、あまり見ることができなかった。

ツアーを組んだ時にはてっきり民族側の方とも話がついているようなツアーなのかと思っていたが、民族が本当に住んでいる場所にお邪魔するだけのツアーなので、運が良ければ会えるし、運が悪ければ全然会えないというツアーらしい。

ツアーの終わりに行った首長族の部落は観光客用にミャンマーから出稼ぎに来ている首長族の方々なので、商売っ気も強い反面、会話などもしっかりできるが、それ以外の部落には本当に毎日を過ごしている人たちの元に行くので、こちらもそろそろと尋ねる形だった。

民族ツアーを選択するお客さんもそこまで多くないらしく、クロイさんも久しぶりに来たと言っていた。

僕には民族の方々に会えなくても、ちゃんとそこで暮らしている人たちの暮らしぶりが見られることが貴重なんだなと思っていた。

そんな中でも、アカ族の人たちとは少し交流することができた。

みんなの唇が赤く染まっている。

これはビンロウ。葉タバコの一種だと言う。ミント香のする葉に石灰とビンロウを混ぜて噛むと、清涼感があるという。

口の中を殺菌して虫歯予防にもなるらしい。

民族の人たちの生活は、農業か機織りのどちらか。おばあちゃんたちはペタペタと周りを歩きながら、空を見るような生活をしていた。

なんだか人生がゆったり流れていそうだな、と思った。

アカ族の人たちの生活用水は、大きな樽に貯められている地下水。

お願いをして、その地下水とビンロウをもらって帰ることにした。

Travel’s paperの素材に使おう。

・・・

 

「これは100バーツ。これは200バーツ。」

目立ちのはっきりした齢8歳ぐらいの子が、はっきりした日本語で言う。

首には12重に巻かれた重さ約3kgの真鍮製の輪。

首長族の小さな女の子は、一人の女性として凛としているように見えた。

彼女の故郷はタイではなく、ミャンマー。

ミャンマーからビザとパスポートを取得して、ここチェンマイの村に出稼ぎに来ているのだ。

親元を離れ、首長族のおばあちゃんと他の首長族の子供達と一緒に、村で暮らしている。

彼女たちは、ここの村から出ることはできない。勉強もしない。

遊び盛りの走り方をしてはしゃぐ姿を時折見せるけれど、それでも立派に商人の顔をしていた。

彼女たちが稼いだお金は、故郷の親に仕送りしているらしい。

クロエさん曰く、首長族の女性たちが真鍮の輪を首につけるのは、神様を模しているかららしい。

もとは仏教徒。でも、最近はキリスト教も少しずつ入り始めているとか。

首長族の人たちにも、文明の変化が訪れ始めているそうだ。

 

・・・

 

タイの民族に会って、思ったこと。

それは、「僕は何者か」ということ。

僕が日本人で、28歳で、フウロと一緒に世界一周しているというような表面的なこととは違うこと。

僕という人間が生をもたらされた、根源的な役割はなんなのだろう。

地球の秩序が一本の糸で繋がっているとしたら、その糸の両端をしっかりと掴んで、役割を全うする。

タイで出会った民族の人たちは、その答えがわかっているように感じた。

僕はそれまで、そういうことは多くの知識を得て、いろんな経験をすることで育まれることなんじゃないかと思っていたけれど、どこかに出たりせずとも見つかるものなのかもしれない。

あと5ヶ月ある旅の中で、その答えが見つかるといいなと思った。

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