インドの絵本を出版している、タラブックスという会社があるらしい。
インド製の絵本という響きでまず不思議な気分にさせるけれど、その本は全て手作りで、しかも手漉きの紙を使用しているらしい。
僕もフウロも、まがりなりにも手漉きの紙で本を手作りしたわけだから、本の手作りすることの難儀なことも、手漉きの大変さも知っている。なにせ我々の本は一冊作るのに最低一週間かかるのだ。
いくら量産体制を組んだとしても、それをビジネスにするのは難しさは想像を絶している。
いよいよ興味深い。そんなすごいことがあってはならないという悔しさもちょっとあって、その展示を見に行ってみることにした。
・・・
展示会場の入り口には、タラブックスの職場の風景が展示されていた。
美しい自然光のもと、白いダラッとした服を着たインド人ががiMacの前で作業している写真。素足のインド人が印刷をしている写真。会社はとても綺麗だが、映像を見ると多大なるクラクションが響き渡る。なるほど、これはたしかにインドなのだ。
タラブックスの本は古布で作られた手漉き紙に、シルクスクリーンで一枚一枚印刷をしているらしい。
製本も手作業で行って、その本が全世界に卸されるという。日本でも出版されている「夜の木」という本は現在8版目だというから驚きだ。
原画を見てみると、緻密な細い線で丹念に書かれている。原画を描いているのは、インドに住む民族のアーティストたちなのだそうだ。それぞれのテーマに沿って、民族に伝わる画法が余すところなく使われている。
展示されている原画を見て、圧倒されてしまった。
主人公が夜の森に紛れ込んでしまうストーリーの本があった。
夜の森がもつ恐ろしさ。木のざわめきや葉の擦れる音の一つ一つが鋭敏に感覚に突き刺さるあの感覚が、真っ黒い紙に丹念に描かれていた。
ふいに、フウロと行ったモロッコのサハラ砂漠の夜を思い出した。
僕たちはあの日、昼間の太陽を浴びながらオレンジ色に輝くサハラ砂漠を、ラクダに乗ってパカラパカラと闊歩した。
砂漠が僕たちを歓迎してくれているように感じながら、あたり一面砂漠が広がるキャンプ場に到着した。
ところが、日が沈み、月が輝き、その月が砂漠の丘に陰るようになると、サハラの表情は一変した。
まるで殴られているような暴風が、テントに打ちつける。ベッドの周りには昼間の砂漠では見かけなかった虫たちが歩き回っている。まるで砂漠に自我があるようだ。
夜の砂漠はまるで、見渡す限り島のない沖のようだった。となりにフウロが寝ているのに、世界から切り離されたような孤独があるのだ。
自然とは偉大で、美しくて、同時に畏れ多いものなのだと悟った。
その本の原画を目にした時、この絵を描いたアーティストの伝えたかったものが、あの時感じたものと似ている気がした。
自然の与える恐怖に親近感を抱いた。ああこれは、という感じだ。
その感覚まで呼び起こすような力のある絵が、本になっていることのすごさ。
絵本を構成しているひとつひとつの絵は、それだけで十分に成り立つ作品たちだと思う。
本来であればこんな絵は現地に出向いたり、作品として買ったりしなければみることができないような代物。まして子供が目にする機会はほとんどないに違いない。
それが、絵本という形にすることで、全世界に発信されている。
タラブックスの創業者のインタビューを思い出した。
「アートと労働を結びつける。本が民俗を近づけてくれる」
・・・
会場の最後の方に、TSUNAMIという絵本が展示されていた。
日本が東日本大震災で大津波を経験する少し前。インドでは2004年にスマトラ島沖で発生した大地震による津波の被害にあった。
津波の恐ろしさと、津波が去った後に起きた不思議な奇跡について、インドの語り部「ポトゥワ」が様々な地域に行って広めていたののだそうだ。
そんな中タラブックスが出会い、この話を絵本に残すことにした。それが、TSUNAMIだ。
天井からつりさがるほどに長い蛇腹の本は、冒頭から本の真ん中に一直線に津波が描かれ、その津波の中には多くの人々がいる。
きっと津波で亡くなった人たちを表現しているであろうその人たちの顔はみな、安らかで笑顔に満ちていて、それが津波の恐ろしさや悲しさをひしひしと感じさせた。
しかし、この本はなんというか、とても前向きなのだ。
津波のあとに出現したという奇跡のお寺の存在を伝えて、この本は終える。
自然には抗えない。悲しいことも人生には起こる。でも、全てが絶望ではない。全てを洗い流した津波の後にお寺が出現したように。
その姿はまるで東日本大震災の復興のシンボルにもなった、福島の一本松を思わせた。
津波の惨事を乗り越え、ポトゥワがこの話を皆に伝え聞き、それがきっかけでタラブックスが本にまとめた。その本の内容が今こうして、日本で読まれているということ。
TSUNAMIには、人生に起こる苦しみをどう捉えて生きるべきか。
その大事な「ありかた」が練りこまれている気がして、僕はこの本をいつか子供に読んで欲しいと思った。
言葉がわからなくとも、津波がどういうものか知らなくても、別にいい気がした。
この本はきっと、内容がわからなくても伝わる。蛇腹の本に、一枚一枚印刷された手漉きの紙に伝わる要素が込められているのだ。
・・・
家に帰って、タラブックスのフライヤーを切り抜いて、額に入れて洗面所に飾った。
きっといつか、僕たちの家にもタラブックスの本がやってくるだろう。
僕たちが大切にしている、手で作るということ、心を込めて生きるということ。そのどちらもを実践して生きている先輩のことを知って、嬉しい気持ちになった。
今日も僕たちは自分たちの本を作る。フウロが漉いた紙を裁断して、印刷する。
遠いインドに思いを馳せながら。その作業はいつもよりも心がこもりそうだ。
