20日間。
おそらく、僕たちの旅の中でもっとも長く滞在した国がスリランカになるだろう。
もともとはもう少し短い滞在になる予定だった。
片道の航空券だけ買って、様子を見ていつ帰るか決めようとしていた僕たちに、チェンマイ空港のチェックインカウンターのお兄さんはこう言った。
「スリランカは入国審査の時に帰りの航空券の提示を求めることがあるんだ。だからあなたたちはここで帰りのチケットを買わなければならない。」
ここまでとりあえず順調に旅してきた僕たちにとって、はじめての予想外の出来事だった。
プライオリティパスが使えるラウンジ目当てで、フライトの4時間前チェックインカウンターに着いていたことが幸いして事なきを得たものの、スリランカでの滞在日をその場で決めたせいで計画が狂ったことは否めない。
スリランカという国に淡い期待と少しの不安を残して、僕たちは飛び立った。
・・ 1 ・・
ブログは自分のコンディションが如実にわかるツールだと思う。
心が盛り上がっていれば文を書くモチベーションも、スピードも上がる。
逆にテンションが下がれば、PCを開くこともないまま、だらだらと時は流れて行ってしまう。
スリランカで僕たちは、いわゆる有名と言われる観光地にはほとんど行かなかった。
世界遺産のシーギリヤロックも入場料が一人2000円以上するという話に驚いて行くのをやめてしまい、紅茶で有名なヌワラエリヤに行くのも、キャンディミュージアムで見た茶畑に満足して足を運ばなかった。
時間はいっぱいあった。
だが、筆は進まなかった。
時間はあったはずなのに、だ。
夜、クラクションの音を聴きながら、瞑った眼の先にトゥヴァの大草原を思い起こす。
ゲルキャンプで外に聞こえるバッタの羽音を聴きながら、この感情を文章を書かなければならないと思い、夢中でキーボードをタイプしたあの時が懐かしい。
つくづく、人というのは脳で生きているんだと気づかされる。
生き物は突き詰めれば、食って寝るだけで人生が成り立つ。
だが、その中に意義を見出そうとして、人と自然と関わって、感情を揺さぶらせながら生きている。
あの時の人生の一瞬はまさに「煌めき」という言葉がふさわしい、珠玉の時間だった。
時の流れが驚くほどゆっくり感じられた。
たった一泊。
昼に到着して、翌朝10時に出発した、あの24時間。
1440分の中の密度。
・・ 2 ・・
スリランカの印象。
たかだか20日間でそんなものわかるはずないと思うこともあるが、それでも第一印象を抱くには十分すぎる時間でもある。
僕は最後まで、この国たるオリジナリティを感じることができなかった。
カレーも、クラクションも、未舗装の道路も。
ここで体験したものはほとんど、他の国の紹介で聞いたことのある特徴ばかり。
「あ〜これこそスリランカだよね!」
というアハ体験は結局感じられずじまい。
なんだかそのことをスリランカの人たちも知っているかのようで、これは僕の偏見かもしれないが、どことなく卑屈さを感じたのは否めない。
特に滅入ったのはキャンディの街だった。
歩けば必ず声をかけてくるトゥクトゥクの運転手。
もう明らかに車の存在に気が付いているだろ!と思うタイミングで、わざわざ鳴らす大中小さまざまな音色のクラクション。
断る隙を与えない宿主のツアーの提案と、必要以上のボディタッチ。
観客が途中で帰ってしまうレベルのキャンディダンス。
家を出れば出てくる2メートルにもなる蛇と、よだれを垂らした目がイってる犬。
電線にぶら下がったままミイラ化しているインドオオコウモリ。
「キャンディの魅力はなに?」と聞かれるとう〜んと唸ってしまうが、いやはやマイナスの思い出は枚挙に暇がない。
まあでも、観光地で観光客を相手にした街ができていて、それを元にその人たちは生きているんだから、それを無下に批判するのも野暮だなということはわかっている。
ことさら僕を滅入らせたのは、スリランカの人たちの価値観の違いなんだと思う。
・・ 3 ・・
キャンディの宿のすぐ近くに、僕たちが重宝した果物屋さんがあった。
僕たちはそこで毎日朝食用の果物を買っていた。
最初の出会いはとてもよかった。僕たちが初めてみたスリランカフルーツ「ウッドアップル」に対して興味を持つと、主人はその場でウッドアップルを割り、食べさせてくれた。
うん、美味しい。その場で僕たちはウッドアップルとアボカドとバナナを買った。
いいところを見つけられてよかったねとフウロと話し、それから恩も込めて僕たちは積極的にその店で買うようにしていった。
問題はここからだ。
僕たちがその果物屋さんで買うようにしていると、おじさんはこちらが言ったバナナの本数を無視して多めに切ったり、ちょっと強引にいろんな物を売りつけるようになってきたりした。
接触回数が多くなるほどに親密になるどころか、むしろ愛想もなくなっていく。
心なしか選んでくれる果物の質も下がった気がした。
僕はそのことにちょっとがっかりした。
日本には、お得意様という言葉がある。自分を支持してくれる人、応援してくれる人を大切にする文化だ。
だが、おじさんのその態度は、ファンになってくれたらその人への奉仕はおしまい。という考え方。
沢木耕太郎の深夜特急の一節を思い出す。
こちらが歩み寄ろうとすると、スルリと肩透かしを食う。
どこの国の話だったか忘れてしまったが、スリランカの人たちにも、同じ印象を抱かせた。
あとでフウロと話した時に、
「スリランカの人たちは、圧倒的にお金が足りないからそういう人格ができてしまったのかもしれないね。同じくトゥヴァの人たちも生活には窮していると思うけど、あちらはお金がなくても成り立つ生活がある。スリランカはお金がないと本当に生きていけなさそう」
と言っていた。確かにそうかもしれない。
生活が貧しいのと心が貧しいのは違うことだ。
だがそれを貧乏旅行とはいえ、世界旅行する余裕がある僕たち日本人がとやかく言う資格はない。
感情の狭間で揺れ動きながら、それでもスリランカへの印象として、そのエピソードが焼き付かれたのは事実なのだ。
・・ 4 ・・
そんなスリランカの旅の中で、唯一僕がスリランカ人の優しい心に触れられたのが、ウナワチュナで10日間滞在したMNHOUSEという宿の夫妻だった。
リゾート地のウナワチュナにおいて、破格とも言える1000円前半の宿泊代。
だが、スリランカで泊まったどの宿よりも快適だった。
宿は宿主の妻の家族が住んでいる庭に位置している。
ヤシの実やバナナ、カレーリーフなどが群生する庭はまさにスリランカの動物園。
リス、キツツキ、オオトカゲ、ネズミ。
あらゆる動物が辺りを散歩する姿が見られる。
時折、4歳の女の子が宿に遊びにくる。
花を摘んでプレゼントしてくれたり、食べかけのぶどうを食べさせてくれたりする。
部屋は完全にプライベートが保たれていて、メインストリートからさほど離れていないのに、うるさいクラクションの音もほとんど聞こえず、肩に力を張らずに生活することができた。
宿主のマハジさんは、32歳、ガソリンスタンド勤務。
最初会った時はスリランカ人にしては珍しく、静かに話す人だなという印象だった。
当初5日だけ予約していた宿だったが、あまりに快適だったので5日延長することにした。
直接マハジさんに延泊をお願いしたことで、マハジさんとも話す機会が増えた。
僕たちはルームサービスを一度も頼まなかったし、静かに生活していたこともあってかなり好印象だったらしい。
僕は宿の庭でスパイスを砕き、熾火で調理するスリランカのカレーに興味津々だった。
勇気をだしてマハジさんに、
「僕はここで作られたスリランカのカレーを食べてみたい。とても美味しそうだから。」
と伝えてみた。
するとマハジさんはとても喜んだ様子で、
「あなたたちはとても長く滞在してくれている。僕たちから夕食をサービスするよ。」
と言ってくれた。
スリランカ人の優しさに初めて触れた機会だった。
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ダルカレーとイカのカレー。
インゲンのサラダとトマトのサラダ。
赤いご飯と付け合わせ。
スリランカで食べたどのご飯よりも美味しかった。
イカのカレーから立ちのぼる熾火の香りがすばらしかった。
なにより、僕たちの為にこのご飯を作ってくれた奥さんの気持ちが嬉しかった。
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全てを平らげたあと、マハジさんと少しお話をした。
「スリランカ人は嫌なやつばっかりだ。でも、その中にもいい人は少しだけいるよ。」
キャンディで出会った人たちは、総じて逆のことを言ってきた。
「スリランカ人はみんないいやつだ。でも、その中に時々悪いやつがいるから気をつけな。」
僕には、マハジさんの言うことが真実のように思えてならなかった。
仕事のこと、子供のこと、これからの宿のこと。
いろんな話をした。
キャンディでは口が固まったように動かなかった僕の英語舌が、なぜかマハジさんとの会話ではスラスラと出てきた。
英語も日本語も同じコミュニケーション。苦手な人と話す時は口は動かないものなんだな、という当たり前のことに気がつかされる。
マハジさんの宿に泊まった日本人は、僕が初めてだった。
僕たちの印象で、マハジさんから見る日本人の印象が少しだけ上がった気がした。
僕たちも同様だった。
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スリランカで思ったこと。
それは、曲がりなりにも僕たちは「日本人」であることを背負って生きているということだ。
旅人でいるうちは、それが如実に結果として反映される。
僕たちに接した現地の人たちは、日本人の印象を頭に刻むのだ。
マハジさんが言っていた、歴代ワーストレベルの宿泊者の話を思い出す。
「ロシア人のカップルは本当に最悪だった。奴らはシーツをタバコで燃やして、一泊の宿泊とは思えないくらい部屋をめっちゃくちゃにして帰って行ったんだ。」
僕たちがノヴォシビルスクで体験したロシアの印象とは真逆の印象をマハジさんは持っている。
ロシアは広くても、一人の頭の中のロシアはとっても狭い。
一組のカップルの行いだけで、国への印象が刻み込まれるのだ。
旅の間、ずっと善い人間でいることなんてできない。
でも、自分が心を尽くしたいと思える人に出会った時には、日本人を代表する気持ちで、物事に接しようと思った。
それがスリランカで学んだことだった。
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これから僕たちはタイを経由して、ヨーロッパに降り立つ。
アジアを離れて、未開の地へと足を踏み出す。
なんだかネジを巻き戻すような気持ちだ。
マハジさんとの思い出を胸に抱いて、清々しい気持ちでスリランカを飛び立つ。
旅って素晴らしいな。
なんだか、久しぶりにそんなことを思った。


