毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

サウスポイントの奇跡と、うーちゃん

僕の世界一周の目的の一つ。

それが、9年前に訪れたサウスポイントという地にフウロと一緒に行くことでした。

サウスポイントとは、ハワイ島の最南端。

断崖絶壁を越えるとそこからは土地一つない大海原が広がる、南の果て。

2009年。浪人中だった僕はよしもとばななさんの「サウスポイント」を読んで、人生初めての海外旅行先をハワイ島に決めました。

そして、その地で僕はいつか世界一周をすると心に決めたのでした。

そんな思い出の地に、フウロと一緒に行く。

これが、僕の世界一周の大きな目的の一つでした。

 

・・・

 

2009年に僕が泊まったサウスポイントホステルという宿は、ハワイ産のみかん、タンジェリンの一大ブランドとして名を馳せたKau’ goldを生み出した農家が経営していました。

宿の奥さんは、新潟市出身の恵子さんという女性でした。

当時19歳で車にも乗れず、何もできない僕を日夜いろんな場所に案内してくれ、美味しいご飯をたくさん食べさせてくれました。

「いつかもう一度会いたい。」

家の住所もわからない中で再び訪れた自宅の近くは、9年の歳月の長さを感じさせるほどの大きな変貌を遂げていました。

僕がこの上ない郷愁を感じ、是非とも見せたいと思った錆びた風力発電所は全て撤去され、周りにあったB&Bも、恵子さんの自宅も、サウスポイントホステルもなくなっていました。

そして、サウスポイントは観光地化され、僕がやっとの想いで歩いてたどり着いたグリーンサンドビーチまでの道のりには、地元の人たちが何台もシャトルを出していました。

僕たちは世界一周旅行の中で、ネットによって古き良き文化がなくなっていく様をいろんな国で見てきました。

僕がサウスポイントに行った2009年はまさに変貌を遂げる過渡期だったことに気がつきました。

そして、大きな変貌と同時に恵子さんもまた、いなくなってしまっていました。

今回泊まった宿の人や、前の自宅の場所に今住んでいる人に聞いても、恵子さんのことを知っている人はいません。

サウスポイント周辺の人の出入りは激しく、たった9年前のことも痕跡も残っていなかったのです。

「もう会えないかもしれない…」

幾度となく思いましたが、文明の力を頼って探すことにしました。

ネット上で1997年の記事から本名を見つけ、本名からwhitepaperという住所録のサービスで存命であることを知り、2つの電話番号を見つけました。

ついに繋がるか、と思ったら、電話番号は2つとも不通。

万事休すかと思ったその時、ふと本名にnumberという単語を追加して検索してみようと思い立ち、調べてみると、whitepaperとは別の住所録のサービスが引っかかりました。

そこには、恵子さんたちのメールアドレスの情報が書かれていました。

最後の望みと思い、メールに連絡しました。

9年前にサウスポイントホステルに泊まったこと、恵子さんにお世話になったこと、今ハワイ島にいて、ぜひ会いたいこと。

二つ登録されていたメールアドレスのうち、一つは宛先不明が返信されてきましたが、もう一つは無事飛んでいきました。

数時間後、旦那さんからメールが届きました。

そこには現在の電話番号が書かれていました。

急いでLINEOUTを使って電話をすると、そこには9年前の記憶を変わらない恵子さんの声がありました。

感激を隠せないまま2日後に会う約束をして、電話を切りました。

ハワイ島はやっぱり僕に幸福をもたらしてくれる場所なんだ。

奇跡を起こしてくれる場所なんだ。

幸せで胸がいっぱいでした。

この出来事をすぐさまブログに書こう。

そう思っていたはずなのに、9時ごろになると急激に眠気が襲ってきて、気がつくと意識が飛んでいました。

あれだけ書こうと思っていたのに、ふっと力が抜けて書けなくなった。

抗いようのない強い力を感じました。

まるで、いまは書くべきではないというような。

 

・・・

 

次の日の朝7時。

フウロの実家からうーちゃんの訃報が届きました。

ウイルス性の急性疾患で、苦しみだしてから1日経たずに、あの世に飛び立ちました。

4歳半の命でした。

帰国まであと20日。

前日までとっても元気に生活していました。

うーちゃんと出会ったらどんな顔するかな、とか。

おみやげの麦わら帽子をかぶってくれるかな、とか。

5月になったらうーちゃんのお嫁さんを迎えてうーちゃんJrを作ろうね、とか。

僕たちの頭の中にはうーちゃんとの未来でがいっぱいでした。

唐突にやってきたお別れに呆然としながら、あらゆる手を駆使して奇跡とも言える出来事があった次の日に訪れた出来事に、因果を感じずにはいられませんでした。

 

・・・

 

その日、僕は9年前に果たせなかったサウスポイントの夕日を見に行きました。

その日は前日までの悪天候が嘘のように晴れ渡っていました。

岩に寝そべり空を見上げると、雲がもくもくと忙しなく形を変えては流れていきました。

「あれはうーちゃんに似ている形をしているね。」とフウロと話しながら、

「いつか大切な人とサウスポイントの夕日を見たい。」

そう思っていた9年前の自分にお別れをして、新しい自分が生まれる気がしました。

 

・・・

 

その日の夜はとても静かな闇が宿を覆っていました。

悲しみを慰めるように猫がこちらにやってきて、僕たちに寄り添ってきました。

「うーちゃん。」と呼んでみると、一度だけ返事をしてくれた気がして、寂しいような、嬉しいような気持ちになりながら。

20時ごろ、二人で部屋に入り、各々やることをやっていると、外から一度だけ「びゃっ!」うーちゃんの鳴き声が聞こえました。

その声は僕にも妻にも届いていました。

「今のは絶対にうーちゃんの声だったよね。」

二人で口々に言い合っていると、フウロの母親から、お寺を営んでいる母親の友達が、うーちゃんのために先ほどお経をあげてくれたとLINEがありました。

うーちゃんの声が聞こえたのは、その直後のことでした。

「きっとここにうーちゃんが来てくれたんだね。」と二人で話しました。

 

・・・

 

次の日には恵子さんたちに会いに行きました。

運転中も少し泣きながら、でも、叶えることができた奇跡を愛おしく思いながら、カイルアコナにあるDenny’sを目指しました。

恵子さんとその旦那さんのモートンさんは、9年前と変わらない覇気をもっていました。

フウロとの出会いから、和紙作りの話し、TRAVEL’S PAPERの話し、結婚の話し、人生の話し。

色々な話をしました。

萎んでいた気持ちが少しずつ花開き、癒されていくのを感じました。

僕は9年前に恵子さんの自宅で、タンジェリンとグレープフルーツの掛け合わせであるタンジェロで作るワイン作りの工程を見せてもらったことがありました。

その時は未成年で飲めなかったタンジェロのワインの味を知りたい。

そのことをモートンさんにメールで送ると、2011年もののワインをもってきてくれました。

この日、僕世界一周をすることで得たものがなにかわかりました。

僕の世界一周旅行は、「しあわせとはなにか」を探す旅だったんだなと。

 

・・・

 

僕にとってその答えは、夢と生活と愛でした。

自分の人生のあり方を見つけ、目標に向かって勤勉に生きること。

日々の生活を大切に、自分の周りとの関係を大切に生きること。

自分を生み出してくれるものに感謝して生きること。

世界一周は、僕にとっての夢の最高峰でした。

そのために四年間半、本気で取り組んで実現させました。

その最高峰を登りきった先には、大切なうーちゃんとの別れが待っていました。

夢に叶えるために行ったことに、悔いはない。

うーちゃんとの別れも覚悟して出てきました。

でも、夢を叶えるのと同じくらい、生活を生み出す日常の愛おしさに気がつきました。

そして、見えないところで多くの人たちに支えられ、人は生きているんだということを感じました。

ふっと思考を止めると、足元にうーちゃんの白いふわふわした体の重みを感じます。

一緒に草いじりをしたり、日向ぼっこをしていたあの日々が、どれだけ僕のしあわせを生んでいたのか。

そのしあわせは、あまりに日常的で、時に当たり前のように感じてしまうものです。

でも、なくなってはじめて、日常のしあわせを生み出しているものの存在に気がつきました。

周りを見渡すと、うーちゃんの死によってもたらされる悲しみを共有できる、多くの人たちがいました。

うーちゃんのツイッターには多くの人からの追悼の言葉をいただき、友人は僕に連絡をしてくれました。

フウロの両親や妹は、死に向き合い、うーちゃんの最期を看取ってくれました。

うーちゃんを介して、いろんなことを気がつきました。

とても悲しい出来事の中に、しあわせがいっぱい詰まっていました。

目を凝らせば、悲しみの傍らには幸せがいくつもあり、幸せには悲しみが寄り添っています。

うーちゃんと初めて出会った時の喜び。抱っこした時の喜び。一緒に昼寝した時の喜び。

あの瞬間はいつもあれきり。次なんてないのだと。

でも、だからこそ尊くて愛おしいのだと。

 

・・・

 

よしもとばななさんのサウスポイントという本から始まったこのハワイ島との縁は、きっとこれからも続いていくような気がします。

「うーちゃんの死によってハワイ島に置いてきた負のオーラを、この地が浄化してくれる気がするね。」

涙を流しながら、フウロはホノルル行きの飛行機の中でそう言いました。

僕も同じ気持ちでした。

この島には、全てがあります。

山も海も、晴れも雨も、幸福も不幸も。

そして、奇跡をもたらす不思議な力があります。

今までそういうものの存在を信じて来なかったけれど、今回の旅ではっきりとそう感じました。

その力はどの国の土地を回ったときよりも強く、優しく感じました。

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