僕がハワイ島にあるサウスポイントを知ったのは、よしもとばななさんの本がきっかけだった。
「サウスポイント」と名付けられたその本は、小学生の頃両親の影響で離れ離れにならざるをえなかった男女が、何十年ぶりに出会いを果たし、ハワイ島に行く恋愛小説だ。
よしもとばななさんの本は高校生の頃から好きで、新刊が出るたびに図書館で借りていた。
その本は本屋で見かけ、なにか縁を感じてハードカバーで買ったのだった。
「サウスポイント」では、ハワイ島やサウスポイントという場所が神聖な力を持っている土地として紹介されていた。
嘘みたいなことが本当に起こる場所。
ばななさんの優しい語り口で、サウスポイントの魅力が書かれていた。
「僕はここに行かなければならない。」
雪解けの始まった上高地の山小屋で住み込みアルバイトをしていた僕は、そう決心し、休日に携帯の電波が繋がる上高地のバスターミナルまで降りて、ハワイ行きの往復航空券を購入した。
・・・
なぜ行かなければいけないか。
明確な理由があったわけではなかった。
でも、ばななさんが書いていたような、ハワイ島がもたらす奇跡を感じてみたかったわけでもなかった。
当時の僕は受験に失敗し、自分の身の振りかたについて悩んでいる時期だった。
「自分が感動した本の描いた景色を見るために、未成年で海外旅行もしたことのない僕が、ハワイ島まで行く。」
自分のあり方を行動で定義したくて、描いたストーリーだったのだと思う。
不確かだけど、この先生きていく上で大切な自分を信じきる力を身に付けたくて、僕は山小屋の住み込みバイトが終わってしばらく経たないうちに、日本を飛び出した。
山小屋バイトで貯めたお金で買った業務用カメラと三脚を抱えて。
・2009・
サウスポイントがそう簡単に行くことができない場所だと気づいたのは、オアフ島に着いてからのことだった。
サウスポイントは、ハワイ島の最南端に位置する断崖絶壁の名称だ。
1日2本しかないコナ空港発の南方行き路線バスに乗り、サウスポイントへと続く道はただ一本。サウスポイントロードと呼ばれるその道路を約20マイル。免許を持っていない自分には到底たどり着かない道程だ。
ワイキキのユースホステルでは、マイケルジャクソンの訃報がブラウン管から流れていた。英語がおぼつかない僕でさえ、micheal diedの文字は読むことができた。テレビに釘付けの黒人たちが印象的だった。
オープンスペースに置いてある古いPCで、僕はサウスポイントの近くのホテルを探した。18歳の僕は無敵だったのだろうか。山小屋で夢見て45,000円のチャイナエアラインでワイキキに繰り出し、その場でサウスポイントへの道のりの難易度を知る。29歳の自分では到底選択できないような、無鉄砲で素直な自分がそこにいた。
素直な心は、身を結ぶものだ。サウスポイントホステルと銘打った格安宿が見つかり、ハワイ島で1日2便しか出ないバスに乗って、僕はサウスポイントホステルに趣き、一生覚えているだろう景色を目に刻む。
その海は青深く、常に風が吹いていた。
タケオキクチのポロシャツの襟を強くひらめかせた。
ハワイ島のサウスポイントにほど近い、サウスポイントホステルという宿で出会ったドイツ人夫婦がきっかけだった。
19歳だった僕には、30歳を越えて2年近く世界を旅しているという二人の話はとても新鮮で刺激的だった。
僕はあの時、サウスポイントの周りで過ごした時のことを、今でも鮮明に覚えている。
思えば、もうあれは9年も前の話なのだ。
・2018・
9年ぶりに訪れたサウスポイントが僕に与えてくれた経験は、人生の尊さだった。
隣には泣きじゃくった妻の姿があり、空には失ったあひるのシルエットがふわふわと浮いていた。
9年前お世話になった日本人のケイコさんに会えると決まり、再会の日を翌日に控えた前日に、あひるの訃報は届いた。
世界一周に抱いていた幻想が崩れ、残ったのはひりひりするような現実に包まれた、人生のかけがえのなさだった。
無理と思えるような奇跡が起こり、当たり前と信じていた日常を奪い去るのが人生なのだ。
人生を定義しようとすれば、必ず天罰が下る。
生きていることに感謝し、尊び、今できることを全力でやり、それでもかなうこともあれば奪いさられることもある。
それでも、人生は輝いていて、人間である限り、人生に恋焦がれて生きざるをえない、それが人間なのだと。
大切なものを牛なって見るサウスポイントは、僕らに起こったことを全て知っているようだった。
その美しさに、僕は救われた。
もっと生きてもいいのかもと思った、27の景色だった。