毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

リメンバー・ミーと臨死体験

世界一周旅行の出発を間近に控えてますが、日本はお盆時期。

かねてからフウロが観たいと言っていたリメンバー・ミーを観ました。

死について、深く考えさせられるとてもいい映画でした。そして、同時に僕は去年体験した四十九日臨死体験のことを思い出しました。

映画:リメンバー・ミーについて

引用元:https://www.disney.co.jp/movie/remember-me/gallery.html

リメンバー・ミーはメキシコで毎年11月1日に行われる死者の日を題材にした、ディズニー・ピクサーの最新作。

映画のモデルになったメキシコでは空前のヒットを飛ばし、日本では興行収入は47億円を超えました

映画の内容はまだ観ていない人の為にあらすじまでにとどめますが、音楽家を目指す主人公ミゲルくんが、死者の日にひょんなことから死者の国に行ってしまう、という話です。

映画の見所は二つ。

一つ目はアニメーションのクオリティ。

ピクサー映画はいつ観ても惚れ惚れします。特に今回は死者の日のカラフルな世界が表現されていて華やかです。

死者のメイクとか、なんかもうすごすぎてCGであることを忘れてしまいそうです。

そして、二つ目は音楽。リメンバー・ミーの中で、音楽はとても大切なものとして描かれています。

映画音楽を手がけたのはアナと雪の王女も手がけたクリステン・アンダーソン=ロペス&ロバート・ロペス。

今回のリメンバー・ミーでアカデミー賞歌曲賞を受賞しました。アナ雪に続いて2回目です。

今回は吹き替え版で観ましたが、吹き替えのバージョンもとってもいい感じです。

映画のテーマ:死者の日について

リメンバー・ミーのテーマになっているのが、死者の日

メキシコの死者の日は、1年に1度だけ他界した家族と再会できる日と言われています。

家に大きな祭壇を作って華やかに彩り、マリーゴールドの花びらを床に撒き、故人が好きだった物をお供えして、死者がやってくるのを待ちます。

日本ではナスやきゅうりと割り箸を使って、先祖様がお家に戻ってこられるための乗り物を作りますよね。僕も子供の頃に親とよく作りました。

お盆はしっとりと故人を想う感じがありますが、メキシコの死者の日はかなり直接的。死をぐっと近く感じます。

リメンバー・ミーを観た時にも、いずれ訪れる自分の死や、家族の死のことを考えさせられました。

同時に、去年経験した、四十九日臨死体験のことを思い出しました。

断食合宿と四十九日臨死体験のはなし

去年、僕はフウロと一緒に岐阜県のお寺で断食合宿をしました。

フウロも僕もどちらかというと体が弱く、特にフウロはアレルギー体質なので、お寺での断食を試すことにしました。

3日間、水と塩分と酵素だけを摂取し、食べ物を一切摂らない生活。朝5時に起きて、瞑想と講話で1日が終わります。

その中にあったのが、四十九日臨死体験でした。

四十九日臨死体験とは、自分の死を模擬体験することで、死についてのあり方を見直す研修です。

これから四十九日臨死体験の中身を書いていきますが、もし今後四十九日臨死体験をしたいと考えている方は読み飛ばすことをおすすめします。和尚様も四十九日臨死体験は中身を知った上でやっても効果が薄いということを仰っていました。

四十九日臨死体験のはなし

空腹が一通り落ち着き、徐々に瞑想に慣れてきた合宿2日目。

夜9時に僕たちは本堂に集められました。

お経を唱える和尚様の脇には、白い布団が敷いてあります。

僕から笑顔が消えました。

今まで「四十九日臨死体験」という文字を見ても、一体どういうことなのか想像もつきませんでした。

四十九日ということは、なんとなく法事的なことをやるんじゃないかと思っていましたが、その布団を見た時、死ぬのは自分だということが分かりました。

布団と線香の香り、蝋燭の揺らめき。そこには死の空気が漂っていました。

 

「これから四十九日体験を始めます。」

 

和尚様が四十九日臨死体験の内容を訥々と話しはじめました。

 

「これから一人ずつここに横たわってください。実際にお葬式で読み上げるお経を唱え、ここから送り出します。」

「お経が終わって、旅立ちですという声が聞こえたら、ゆっくりと目を開け、起き上がってください。あなたは体を離れ、魂となります。」

「魂となったあなたは、本堂に向かって行ってください。本堂までは一人で行かなければなりません。その間誰と話すことも、一緒に歩くこともできません。」

「真っ暗で心細いと思いますが、神様は行き先に道しるべをつけてくれています。明かりを頼りに歩いていけばきっと辿りつくことができます。」

 

・・・

 

僕は、布団の中に横たわり、両手を合わせて目をつぶりました。参加者は約10名ほどいましたが、僕が最初の順番でした。

目をつぶってしばらくすると、木魚のポクポクという音に合わせて、お経が聞こえてきました。まずはお坊さんの声、それに合わせて、参加者の方々も唱えているのが聞こえてきます。

とても不思議な気持ちでした。最初は自分が体験してきた家族や親戚のお葬式のことを思い出し、やがて自分が死んだということが違和感なく溶け込んできました。

お経の声はとても寂しく聞こえました。僕のために和尚様が、そして色んな人たちがお経を読んでくれている。

とても悲しく、でも、僕の死にみんなが集まって一心に思ってくれることが嬉しくもありました。

お経の中身は全て聞き取ることはできませんでしたが、確かに草作という名前が唱えられていました。

やがて、お経の声が止み「旅立ちです」という声が聞こえました。

僕はゆっくり目を開けて、静かに体を起こしました。

みんなのことは見ず、フウロのことも見ず、スッスッと音を立てずに暗い道を進んで行きました。

 

・・・

 

進む道は真っ暗でした。あまりの暗さに一気に心細くなりました。

「体から離れ、極楽浄土に行くまでは暗く寂しい道。明かりを頼りに…。」

和尚様の言葉を思い出し、ゆっくり歩きながら目をこらすと、遠くに小さな明かりがありました。

ほっとした気持ちで明かりに近づくと、それは小さな蝋燭でした。

狭く、暗く、寂しい道でした。しんっと静まりかえった死者の道。明かりの存在が心の救いでした。

歩きながら、生前のことを少し思い出して、死んでしまったことが悲しくなりました。

 

・・・

 

蝋燭の明かりを辿って進んでいくと、やがて外に出ました。生ぬるい9月の外気と、木々のざわめき。

明かり一つない外は、真っ暗でした。一度止まって明かりを探し求めました。ようやく見つけて、大きな建物の縁をすり足で歩いて行きました。

極楽浄土はどこにあるんだろう、という不安はありましたが、不思議と暗さによる怖さはありませんでした。

深夜のお寺を歩く、なんてことはいつもであれば怖くてとてもできることではないはずなのに…。

でも、明かりを見失って縁の下に落ちてしまったら一生ここで迷い続けてしまうんじゃないか、という怖さはありました。

少しだけ早歩きになりながら、建物の縁をぐるりと回ると、白いモヤモヤしたものが見えてきました。

なんだろう、と思いながら近くまでいくと、それは同じく断食に参加していた人でした。

前回、四十九日体験をしたことがある人は、お手伝いをしてもらいますと和尚さんが言っていたのを思い出しました。

手を引いてもらい、建物の中に入りました。

 

・・・

 

4畳半ほどの小さな部屋の右隅に、大きな鏡がありました。座布団の上に正座し、お清めの鐘を鳴らしてもらいました。

しばらくたつと、また手を引いてもらいながら、今度は大きな建物の中に入りました。

和尚様がにこやかな笑みを浮かべて、立っていました。それは、和尚様ではなく、神様そのものでした。

和尚様は、僕の両手を包むように握りました。とても暖かい手でした。

 

「よく来ましたね。ここは極楽浄土です。生前は色々なことがありましたね。大変なこともいっぱいありましたが、よく頑張りました。ずっと見ていましたよ。」

 

ぐっと喉に詰まるものがありました。そうだった。大変だった。でも、神様はずっと見ていてくれたんだ。

僕は、無事に極楽浄土にたどり着けた安堵と、神様のお言葉を聞いて、心の芯まで暖かくなった気がしました。

和尚様は僕の手に練香をつけました。手の甲をこすって塗ると、線香の香りとはまた違った深みのある香りが広がって、また一段と落ち着きました。

 

「どうぞゆっくり休んで、みなさんがくるのを一緒に待ちましょう。」

 

和尚様はそう言うと、僕を奥に通してくれました。

薄暗いお堂には、小さな椅子が並んでいました。あたりは静かで、蝋燭の揺らめきが壁を照らしていました。死後の世界はこんなところなのか。と思いました。

 

「よくいらっしゃいました。」

 

四十九日体験をすでに経験していたもう一人の女性が、僕の両手をとってそう言いました。

その手もとても暖かくて、ありがとうございます。と言いました。

 

・・・

 

僕は死後の世界を信じていませんでした。死んだらすぐに他の生き物になって生き続けるのかな、と思っていました。

同時に、家族やフウロの死が訪れることをずっと恐れていました。

誰でも平等にやってくる別れ。そのことから目を背けたくて、あまり考えないようにして来ました。

でも、こうやって自分の死を見つめてみると、死は形の変化であって、死によって何もかもが変わってしまうわけではない気がしました。

悪くない気分でした。

 

・・・

 

しばらくすると、外の方で足音が聞こえ、新しく人が建物に入って来ました。

フウロでした。

和尚様からお言葉をいただき、こちらにやってきたフウロは、少し泣いていました。

 

「待ってたよ。」

 

満面の笑みで迎え、両手でフウロの手を包み込みました。

リメンバー・ミーと四十九日臨死体験の共通点

死ぬ、ということ。

死んだ先のことは、死んでいない僕たちには誰にもわからないことです。

わからないから怖いし、目の前から愛する人がいなくなってしまうことはとても悲しいことです。

それでも、僕は四十九日臨死体験を通して、家族の周りや自分の死についての不安が、少しだけやわらぎました。

 

死ぬ、というのは体がなくなるだけ。

 

その人の魂は、極楽浄土や、リメンバー・ミーで語られている死後の世界で生き続けているような気がします。

大事なのは、死を終わりととらえずに、形の変わっただけだと思うこと。

リメンバー・ミーでは故人の思い出が大切なキーワードとして語られていますが、僕にはそれが、死が故人との関係を絶つものではなく、いつまでも心の中で生き続けるというメッセージだと思います。

フウロがフィルムカメラで撮った景色は、生と死が入り混じったような不思議な空気でした。

擬似体験だったのかもしれないけれど、本当に一度死を経験したような。

お寺での断食・四十九日臨死体験の経験は、今の僕にとって大きな財産になっています。

最後に

今回はリメンバー・ミーの感想と、四十九日臨死体験の経験をまとめました。

リメンバー・ミーは死という深いテーマをコミカルに描いている良作です。

お盆時期に観てみるのもいいですね。

そして、四十九日臨死体験に興味が出た方は、こちらからチェックしてみてくださいね。

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