・・・大学生の前で講義をする・・・
12月18日。
世界一周から9日後というタイミングで、母校の日本大学藝術学部で講義をさせていただきました。
僕が大学を卒業し、凸版の社員になった2014年から足掛け5年。
毎年マーケティング講義の中の、ゲストスピーカーの講義の1コマを担当させていただいています。
特にテーマを定められていないこの講義の中で、約80分間という時間を一人で「切り盛り」しなければなりません。
2014年に始めた時には、いかに「80分間」生徒を寝かさないように過ごせるか。という、いわば自分の力試しのために使っていた時間が、回を重ねるごとに手狭に感じるようになり、1コマ1コマや話す一言の密度を上げるようになっていきました。
今年は特に、世界一周という大きな経験を経た「今」だからこそできる講義にしたい。
ポルトガル:リスボンにいた10月ごろから、本格的に準備を始めました。
モロッコでうんうん唸りながら宿の机で作業を進めた時に、リヤドマムーシュのお兄さんが出してくれたエスプレッソや。
ハワイ島で経験したうーちゃんの死。恵子さんとの出会い。
そして、ニウエで出会った岸家のみなさん。
色んな旅の栄養を吸って出てきたテーマは、「夢と生活」についてでした。
僕が世界一周という人生最大の夢を叶える中で見つけた、夢の実現の法則。
僕たちの夢の叶え方は、愚直で、まっすぐで、ズルなしが取り柄です。
世の中には「飲むだけでかんたんに痩せられる」とか、「目をつぶっていても金が増えていく」というような、飛びつけばすぐに幸福が訪れるような謳い文句があふれています。
でも実は、幸福は「苦しみ」があるから幸福として成り立ち、感情はお金や時間の大小で左右されない。ということを、僕は世界一周のなかで痛いほど実感しました。
もしこの旅費を誰かに恵んでもらったら、今感じている価値を得ることは一切できない。
その努力を続ける尊さについて、大学3・4年という一番多感な人たちに教えてあげたかった。
だから、今回はあえて「響く人には響く」を意識しました。
今までのような救済措置的な話を辞め、自分なりに考え、行動しているけれど、不安が拭えないという人たちの活力になるような。
そう。僕たちが時々宇宙兄弟を読む時に感じるような不器用に夢を歩んでいる人の支えになるような話を。
宇宙飛行士のような見上げても届かない夢ではなく、僕の話はお金と仕事とタイミングさえ上手く合えば叶えられる、「目と鼻の先」の夢です。
凡人だからこそ話せるものがあるじゃないかと発奮しながら、410枚のスライドを完成させました。
この日のために、フィンガーポインターも買いました。
僕たちの世界旅行中の楽天ポイントの支払いがポインターに変わりました。
・・・講義前の準備・・・
当日の朝は、いつもよりも寝覚めが悪く、体にも疲労が残っていました。
それでも、朝のコーヒーを飲み、近所のまねきねこに行きました。
最終のプレゼンの用意です。
今回の僕のテーマは、「やり切る」こと。
会社時代に教えてもらった脳科学プログラムのルーティンの話を聞いてから、僕はコーヒーを朝と昼に飲むことで脳のスイッチを切り替えるようになりました。
本番で着る服を着てプレゼンの練習し、大事なスライドには関連する写真を背景にすることで、Fire together Wire together(同時発火させることで記憶を呼び覚ますこと)が起きるようにしました。
カラオケボックスの中で、見えない聴衆に向けて語りかけます。
夢を追うこと。生活をすることはどういうことか。
僕たちは自分らしく生きていくために何をすればいいのか。
それが上手くいくかどうかはわからないけれど、自分のプレゼンの話はそのまま自分にブーメランで返ってきます。
自分の頭が生み出した概念に自分の体を傾けて、考えうる準備を済ませて、家を出発しました。
隣にはフウロ。
「今回の講義には、私も行こうと思うんだ。」
フウロからそう告げられたのは、確かモロッコのリヤドマムーシュでプレゼンを考えている時でした。
今まではフウロが講義に来たことはありませんでした。僕も来てほしいとは言えませんでした。
自分のプレゼンには「他者へのスイッチ」みたいなものがあり、練習の時には驚くほど本番のようなプレゼンができないことを僕は知っていました。
本番の僕には何かが憑依して、僕でないものが話している感覚がある。
ふざけたような話ですが、僕のプレゼンが評価されているのもそこでした。
会社のビジネスコンテストでグランプリを獲ったのも、「プレゼンといればあいつ」のような評価を受けているのも、自分からすればその「僕ではない僕」だった。
もしフウロがその場にいることで、いつまでも本番スイッチが入らないままのプレゼンになってしまったら…
そんな不安がありつつ、それでも、僕の本気のプレゼンを見てほしい人は、今目の前にいるフウロそのものであることにも気が付いていました。
久しぶりに訪れた日藝の江古田キャンパスは、やっぱりいつもの感じでした。
訪れる頻度が毎回年に一回のため、この場所に「世界一周後の感慨」はありませんでした。
いつもの「変わってない」と「変わったなあ」が押し寄せる中、サニーディ・サービスの24時のブルースを聴き、目をつぶって最後のルーティンを始めました。このルーティンはこの場で生まれました。そういえばルーティンの始まりは「ルーティン」なんだろうか…?
・・・講義のはなし・・・
仕事の話、生活の話、旅行の話。そして夢の実現の法則の話。
僕は話すというよりも、その80分の間、どこか旅に出て行っていました。
ここではないどこか。きっとこの感覚は、アーティストのライブのようなものなのかもしれない。
講義が終わり、「ありがとうございました。」と言った後、一瞬沈黙が訪れました。
その沈黙が、いい類のものであることを、僕は不思議と知っていました。
今までの僕は、プレゼンをした後の反応が怖くて、でも話し切った達成感はあって、軽い躁状態のようになっていました。
それが今回はどっしりと、終わった感覚と、見えない手応えだけがありました。
教授が、独り言をボソっと呟いてから、事務連絡を始めました。
後からそれは「これは素晴らしい…」と口から漏れ出る感想だったよと、フウロに教えてもらいました。
講義の後には、3人の大学生が僕たちと一緒に飲みに行ってくれました。
みんなちゃんと自分の人生があり、自分で選択する強さを持っており、今日もやることがある中で、あえて僕と話すことを選んでくれた人たちでした。
みんなと話していて、もやもやとした想いが少しずつ形になってきました。
これが終わりではなく、何かの始まりになるような。
・・・人の前で話すこと・・・
帰りに、フウロと二人で、駅から家まで歩きました。
外飲みをしたら、我々には足がありません。
最寄りの駅から家までの1時間の帰路は、あの日の僕たちにとってとても大事な時間でした。
きっとこれから僕たちが心に決めたことをできるようになった時には、必ず思い出の日になるような。
そういうドラマの1シーンのように、輝いていました。
僕はこの講義のあと、人前で話す場所を自分で生み出そうと心に決めました。
今まで自分にはないと思っていた「自分にしかできないもの」の輪郭が見えた気がしました。
夢を叶えるための、どの人にも当てはまる共通の法則の話と、僕たちの生き方の話を求めている人がきっといる。
そんな気がしました。
2018年12月18日。
この日に感じたあの想いが形になるのは、案外早い気がしました。
2019年。
僕たちにとって、来年は何かが大きく変わる年になる気がする。
不確かな根拠ほど、確かなものはない。
そんなことを思いました。
ステキだね。来年は僕も聴講しに行きたいと思いました。
コメントありがとうございます!来年早めのタイミングで、対外的に話ができる場所を作れればと思っています。ぜひお越しいただければ幸いです^^