毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

ストーリーが、ごはんをおいしくする。 鳥のからあげと、ぬか漬けと

おいしさはストーリーが生み出す

おいしいごはんが好きだ。

おいしいものとそうでないものの区別は、人よりもつく方ではあると思う。

そんな僕は今まで、「おいしさ」は、食材や調理法によって生まれるものだと思っていた。

でも、2017年にフウロと、岐阜県の千光寺で断食体験をした時に、一つのことに気が付いた。

3日間ぶりの食事で出されたのは、梅干し汁。

その梅干し汁には、高級食材で作ったごはんに数段勝るおいしさがあった。

あの経験は、僕に一つの価値観を教えてくれた。

おいしさは心で感じる。

味のおいしさは、感覚によって生み出される。視覚、味覚、嗅覚、聴覚、触覚の五感だ。

でも、「心のおいしさ」は、この五感以外の感覚によってもたらされる。

だから、ちっとも楽しくない時や、ストレスが極限に達している時には、どんなに「おいしいはず」のご飯も味気ないのだ。

食材を得るまでの過程。

ご飯が作られるまでの過程。

ご飯を食べる時のシチュエーション。

それらのストーリーがご飯の出来栄えと合間って、極上のおいしさを生み出す。

僕とフウロは、自分たちの中で大事にしたいご飯の時には、そのストーリーを大事にしている。

このシリーズでは、僕たちが作ったご飯と、そのストーリーを綴っていこうと思う。

我が家の新年会

我が家では、年末年始のいずれかに宴会を開いている。

僕とフウロの披露宴を一緒に作ってくれた幹事に、お礼を言う会として始まったこの宴会は、今は「草作会」という名前になり、今年で5年目を迎える。

今年の参加者は6人。

普段は手広を感じられる我が家も、8人も集まるとぎゅうぎゅうといった様相。

でも、みんなから発される熱で部屋はほかほかと暖かく、心もほっこりする。

三種の唐揚げを作る

今年のご飯は三種の唐揚げ。

味付けは、旅行土産と自家製の発酵食材で作ることにした。

一つはスタンダードな、生姜醤油味。

生姜はモロッコで買ってきた粉末生姜。驚くほど安いのに、少量でもピリリと辛くてお気に入り。

生姜を使うと必ず、マドリッド空港で粉末生姜を取り上げられたことを思い出す。

あの時のフウロが怒っていた顔は忘れられない。

今我が家にあるのは、他のポケットに入れていた少量の生姜だけど、少量とはいえ、日本に持って帰ってくるとあまりある量だ。

もし取り上げられなかったらもっといっぱいあったのになあ…

なるだけ考えないようにして、いそいそと食事作りに励む。

二つ目は、家で仕込んだ柚子辛子味。

ベースの醤油味に加えて、帰国後フウロのおじいちゃんからもらった柚子と、唐辛子と塩で作った柚子辛子を練り込む。

1ヶ月ほどたった柚子辛子は、塩味や辛味の角が丸くなって、旨味が強くなってきている。

最後の唐揚げはカレー味。

 

スリランカで買ってきたスパイスを使ってカレー味に仕上げる。

カレースパイス、マサラ、カレーリーフを混ぜ込むと、日本ではなかなか食べられないカレーの風味が広がる。

カレーリーフは不思議な葉っぱだ。加熱すると、インドやイギリスの格式高いカレーの香りではなく、カレースナックのような庶民的なカレー風味が立ち上るのだ。

まるでカールのカレー味のような、子供が好きそうな匂い。

少量で香るのでお気に入り。

薄力粉と片栗粉をまぶして、がんがん揚げる。

隣で手伝ってくれた友達が「揚げ物なんて、家では滅多にやらないな〜」と呟く。

我が家は揚げ物の頻度が多い。揚鍋もあるし、揚げ物を置くトレイも完備している。

揚げ物は設備さえ整っていれば、結構簡単な調理法だと思う。まとめてできるし、何より美味しい。

大根のぬか漬けをつくる

付け合わせは家のぬか漬け。

帰国後すぐに作ったぬか床は、しいたけ・昆布・柚子辛子の旨味をしっかり携えて、ちょうどいいコンディションに。

1日漬けがちょうどいい。

後輩が持ってきてくれた八海山スパークリングには日本の食材がばっちり合いそう。

大根スティックをつくる

方々からおいしいと好評の無農薬大根。

一工夫して、兄からもらったイタリア土産のマッシュルームソースとマヨネーズとバルサミコを混ぜたペーストを添える。

思いっきり洋風の味付けのはずなのに、味見でフウロに食べさせてみると「和風の味がする」とのこと。

食べてみると、確かに。醤油や出汁のような味がする。

マッシュルームの旨味は椎茸に似ているのかもと思ったり。

りんごチップスをつくる

おすそ分けでもらったりんごは、食べやすくチップスに。

生も美味しいけれど、加熱すると味が濃くなってさらに美味しい。

焦げないように見張りながらレンジで五分。焦げ目がついたりんごを剥がして網の上に置いておくとパリパリになる。

簡易ドライチップスの出来上がり。

これがまた、めちゃくちゃ旨い。通り過ぎる友達が「これ美味しい!」と、二三枚食べていく。

みんながくる時間に合わせて、前日から準備する。

ご飯を水に漬け、ぬか床に大根を埋め込み、食器を用意し。

ワクワクが無条件に訪れたのは、子供のときだけだったと思う。

27歳になった今は、イベントをいかにイベントとして楽しみにできるかは、自分の準備にかかっていると思っている。

準備した料理は失敗するかもしれないし、ひょっとしたらみんな風邪で来れなくなるかもしれない。

でも、うまくいくといいなと思って準備をするその瞬間がとても幸せだ。

こうやって作られたご飯は、しかし、一番評判がよかったのはご飯だった。

もう累計500回くらいは炊いている、鉄釜でのご飯が一番美味しい。

数回頑張って作った料理よりも、何百回と作ったシンプルなご飯が一番美味しい。

きっとここにもストーリーが詰まっているなと思った。

いい顔が生まれる場所

強い顔、弱い顔、親の顔、子の顔。

いろんな顔を使い分けて、人は生きていく。

24年来の付き合いの親友もいれば、今日がはじめましての人も家にやってくる。

それでも、すっと馴染んで一緒に笑いあえるなんて、とても素敵なことだと思う。

僕の家に来て、ご飯を食べて、カードゲームをしたり、「気がついたらもう五時だね〜!」と言い合って笑うみんなの顔は、平和で朗らかだ。

深夜に近づき、後輩がおもむろに切り出す。

「実は、うーちゃんの曲を作ってきたんです。」

11月20日に亡くなったうーちゃんの半生を彼なりに解釈して作ったという曲を、みんなで聴く。

そういう時に誰も喋らず、しっかり聴き入ってくれる姿勢に、僕はホッとする。

曲は素晴らしかった。

うーちゃんのことを思い出してちょっと泣きそうになりながら、後輩がこの曲をつくるために費やしてくれた時間に想いを馳せる。

僕もフウロも、作り手だからこそ、ものを生み出すことの大変さが分かる。

その向き合う姿勢は、僕たちのためでありながら、同時にその人自身の人生の姿勢も決める。

みんないい人生を歩んでいる。

その日、酒を飲みすぎてうーちゃんの祭壇の近くで寝転がった僕は、夢を見た。

僕はうーちゃんの首元を優しく撫でていた。

夢に何十日ぶりにでてきたうーちゃんの顔はとても晴れやかだった。

夢の中でも、僕はうーちゃんがこの世にいないことを知っていて。

それでも、今そこに見えているうーちゃんに愛を伝えたくて、優しくなでていた。

 

・・・

 

朝は眠たい眼をこすりながら、近くのラーメン屋さんに繰り出す。

「平成がもうすぐ終わりだね。平成の次の元号をみんなで予想する会を開きたいね。」

平成が終わるという言葉には、まだまだ実感がわかない。

それでも、今年の4月には新しい元号が発表され、5月にはもう平成は過去のものとなるのだ。

27歳。僕とフウロが結婚して、もう4年。

こうやって会を開けるのは、いつまでになるだろう。

僕たちも歳をとり、子供が生まれたり、東京から離れたりする人も出てくるのかもしれない。

「今って実はすごく幸せなのかもしれないよね。」

帰り際のドライブ中フウロが呟いた言葉を反芻している。

幸せを幸せと思えるかどうかは、人次第なのだなと思う。

時間があり、心に余裕があり、愛があれば生まれるけれど、その簡単に思えるその三つを保つのは、実はとても難しいことだ。

またみんなとこうやって、おいしくご飯がたべられるように。

僕たちは僕たちの。みんなはみんなのストーリーを歩んでいく。

次は3月の終わりかな。

ストーリーが、ごはんをおいしくする

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