毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

旅の垢と、モロッコの風

抜ける風が違うと、心のあり方はこう違うのか。

マラケシュのだだっ広い道路を歩いていて、そんなことを思った。

店の照明の明るさや、肌の色はスリランカと瓜二つなのではないか?と思うほどよく似ていたが、大理石を多用した家の作りや、突き抜けるような空の青さは、あの国から数千キロ離れた異国であることを僕に思い出させてくれた。

スリランカから逃げるように旅だった僕たちは、ヨーロッパにどこか安心感を求めていた。

カルロスさんの好意で心を温め、スペインの白カビサラミや、ポルトガルのフランセシーニャで未知の味に舌鼓を打ちながら、日本が憧れた人々の感覚に寄り添うように生活していたことに気が付いた。

そのぐらい、ヨーロッパという国は居心地がよかった。恐怖心も皆無だった。

ヨーロッパを離れる時に感じたあの摩耗したような気持ちは、ヨーロッパで一瞬旅することを忘れたからこそ感じたことなのかもしれなかった。

モロッコに向かう飛行機の中、僕は携帯にこんな文章を残していた。

 

・・・

 

旅で出会ったものだけに思考を寄せようとしていた。

長くなればなるほど、旅は生活に近づいていく。

日々の営みで考えることに頭が寄っていく。

それを遮る必要はない。

その時間にやりたいと思ったことをやればいい。

観光しなくても、そのとき「気が向かなかった」ことを恥じることはない。

その時、僕は思考の旅をしている。

日本の生活を思って色々考えている僕もまた、旅をしている。

 

・・・

 

書いた想いに間違いはない。

でも、アフリカに降り立った今思うことは、少し違う。

それは、ヨーロッパで想ったことが、思考の範疇にある世界だったからこそ起こった事象ではないかと、いうことだ。

ヨーロッパで体験した全ては、どこかで聞いた話を自分の中に取り込む旅だった。

ポートワインだって、ヨーロッパの街並みだって、どこかで誰かに聞いて知っていた。

だから、目から鱗が落ちることはなかった。

だが、「本当はどういうものか?」を知るための旅はとても大切だ。

知識として知っていることと、体感していることには天と地ほどの差がある。

それを知るためにも行ったことに間違いはないし、素晴らしい体験だった。

でも、僕たちが旅の初めで体験し、圧倒的な感動を覚えたトゥヴァの地は、思考の外側にある場所だった。

今時、首都への行き方もわからない国が存在しているなんて思いもしなかった。

そこで体験することには、こちらが旅に思考を寄せるような工夫をしなくても、体が自然と反応するものだ。

頭で考えるのではなく、心で考える。

まさしく、そんな感じの場所だった。

 

・・・

 

僕にとって、アフリカという土地は本当に、予想のつかない場所だった。

だから、空港に着いて飛行機を降りた瞬間に雨が降っていたことにまず驚いたし、朝起きたら息が白くてさらに驚いた。

全ての建物がレンガ色で覆われていて、大理石がふんだんに使われていて、一見かっこよく階段が並んでいるが、よく見ると階段がところどころずれていて歪んでいることにも気が付いた。

目が開いている気がした。

スーパーでは、フウロとモロッコの小さなお茶菓子を物色していると、モロッコ女子大生4人組に声をかけられた。

経済学を学んでいるファティマは大のアジア好き。

アジアといえば、ジャッキーチェン・李小龍・テコンドーとアクション関連の知識がつらつらと出てきた。

法律を学んでいるシャイマは僕たちのカップルエピソードをしきりに聞きたがった。

笑いに包まれながら、10分近くもお茶菓子の一角を占領しておしゃべりを続けた。

あとでフウロが「あのタイミングであのお茶菓子コーナーに行かなかったら出会わなかったんだね。」と言った。

本当にそうだ。

僕は5年前、山形の鶴岡に行った時のことを思い出した。

山形もまた、自然と出会いに溢れる場所だった。

鶴岡の路地を歩いていると、小学生くらいの女の子二人組から「あ、いいカップルがいる」と名指しで言われ、トチもちを作っているおばさんに製造工程を見せてもらったり。

ちょうどだだちゃ豆の旬の時期で、地元のJAでとれたての枝豆を食べたり。

こちらから無理に何かを求めようとせずとも、不思議と出会いが繋がる瞬間が存在するんだ。

この数日間肩にとのしかかっていたものが、スッと落ちた気がした。

旅の垢、のようなものだと思う。

シャワーの水がぬるいことや、オリーブオイルの匂いがきつすぎることや、またここにきて思い出したようにお腹の調子が悪くなったことも含めて、旅を楽しめる2週間になればいいなと思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。