コーヒー談義

コーヒーが苦手だった。

苦いのが嫌だったのでも、健康に悪いからでも、食わず嫌いだったのでもない。おなかが緩くてコーヒーを受け付けない体だったからだ。

そんな僕が一日に二杯、必ずコーヒーを飲む生活になってそろそろ三年が経とうとしている。

石の上にも三年とはこのことか。コーヒー牛乳から始め、カフェラテという最高の飲み物にありつけ、今はブラックでも一杯なら大丈夫な強靭な体を身に着けた。

おなかがゆるいのは相変わらずだが、人は慣れる生き物だということを実感せずにはいられない。

豆を挽いた直後に立ち上る香りは脳を狂わせ、クレマが光り輝く一口目は心をベタ凪に鎮めてくれる。あれだけ保てないと嘆いていた集中力も、コーヒーを飲んでいる間は保っている気がする。コーヒーは用法・容量を守れば魔法の飲み物だ。さすが500年間飲まれ続けているだけある。真っ黒なのにね。


苦手なコーヒーを「飲めるようにしたい」と思ったのは、印刷会社時代に受講した脳科学の講義だった。

「トリガーが人の生活を豊かにするんです」

すらっと長身の脳科学の先生はよどみなく講義を進め、堂々としていて、かっこよかった。あと必ず持ってくるお化けサイズのスタバのブラックコーヒーも。

トリガーとは、自分の調子がいい状態を取り戻すためのスイッチなのだそうだ。ユニークなルーティンを身に染み込ませることで、どんなコンディションの時でもいい方向へ修正できる。

イチローのバットを回すしぐさも、五郎丸のキック前の儀式も、ルーティンを活用した例であること。そして、日常生活にもルーティンは簡単に取り入れられることを教えてもらった。

当時、僕は人間の感情の仕組みについて興味深々だった。自分の感情のコントロールができる日とできない日があるのはなぜか。そしてそれはどうすれば解消できるのか。

その答えが脳科学にはあったし、ある意味では、なかった。脳のメカニズムを勉強し、心を保つ努力はできる。でも、偶然が重なり合ってできた鬱鬱としている状態を治すことは脳科学では無理だ。

多分それはどんな学問でも、すべての人生を豊かにする万能薬なんて存在しない。

そんな当たり前のことを再認識し、そうなる前の処方として僕の心の拠り所になったのが脳科学だ。

僕はその日から、自分でできるユニークなルーティンとして「コーヒーを飲む」ことをはじめた。

コーヒーを飲むことは僕にとって非日常だったから。というのは建前で、多分脳科学の先生みたいになりたかったからだ。その証拠に、あの講義からやたら無地のTシャツも買うようになった。いろんな意味で、形から入ったわけだ。


デロンギのエスプレッソマシンにスイッチを入れ、立ち上がるまでの短い時間に受け口にカップを忍ばせる。

半目盛りくらいまで牛乳を入れたピッチャーを15度くらいななめに傾け、そろそろとスチームを開始する。

ぬるくも熱くもないちょうどいい温度まで、泡立たないように。できあがったミルクフォームを、最大限に濃く・少なく入れたエスプレッソに勢いよく流し込む。

「あらら、ぼこぼこ鳴っちゃった」

「今日はミルクの濃度が悪かった」

「豆ってこんなに風味が飛んでいたっけ?」

コーヒーの醍醐味は、飲むだけにあらず。

一口目の味と同じくらい、入れるまでの動作や気持ちが大事なのだ。朝イチでものづくりに向き合って、失敗にはポジティブに、成功には慎ましく。

いつの間にか、僕のトリガーはコーヒーを飲むことから、コーヒーを淹れることになっているのかも。

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