行間は自分でつくってもいい

実家は団地ばりに人口の多いマンションだった。

昔ヤクルト工場だったという跡地には4棟のマンションが建ち、敷地内にプールと遊具付き公園を備え、子育て世代の家族がひしめき、子ども用の自転車置場には往来を邪魔するほどに自転車がせり出していた。

まだインターネットが発達してなかったから、半分デジタルで、もう半分はアナログの時代だ。

遊ぶためには一歩踏み出す勇気が必要で、踏み出した先に生まれる刹那の友情や、ちょっとした裏切りはちゃんとリアルだった。

下校後は、名前もどこに住んでいるのかも知らない子たちとポケモンで通信対戦したり、デジモンのちびっこい四角の端末をくっつけあったりしたものだ。

匿名で無意識に人を傷つけられる今とは違って、ちゃんと傷つけたし、傷つけられた。幼少期には気が付かなかったけれど、あの経験はその時代が与えてくれる得難い体験だったのだ。

今や子供の自転車置き場はすっからかんで、どこもかしこもバリアフリー対応され、もはや老人ホームだ。緑が青々と茂っていて、東京にしてはいい場所だなあと思うけど。


僕は、あのマンションに住んでいた同世代の子供たちの中で、最も自転車に乗れるようになるのが遅かったと思う。

小学2年まで乗れずじまいで、半分兄にいじめられながら必死で自転車の練習をしたものだ。

思えば、あの頃から「決まったこと」を身につける能力に難があったなあと思う。

自転車然り、語学然り、数式然り。よーい、どんで知識を身につけるタイプのジャンルは特に苦手だった。

そんなことないよと親は言うが、その感覚を知っていて、そうだとわかるのは自分だけなのだ。

最近つぶやきシローが3月生まれの人が感じる体力・学業の劣等感をまとめた3月生まれあるあるという本を上梓したが、(まだ読んでないけど)2月中旬に生まれた僕にも充分に当てはまる内容に違いない。

それが生まれた時期の違いで生じる類の差異ならそうなのだけど、よくよく考えると「決まったこと」をできるようになる能力については今でも得意とは言えないなあと思う。

覚えるだけ。と言われるような仕事は特に苦手だし、TOEICとかの点数も壊滅的に低かった。海外に出てコミュニケーションは取れても、紙のテストは苦手だ。

「決まったこと」では他者とくらべて分が悪いと気づいた僕が代わりに鍛えた力が、「行間をつくること」だった。

行間をつくる、とはつまり、やり方を自分でつくってしまう。ということだ。別の言い方にするなら、人に命令されてもできないが、自分で企画したらできちゃう、みたいなこと。

小学生までは成績が下から数えたほうが早かったが、中学生になり寮に入れられて、自分なりに勉強しろと言われたら、一気に成績トップに躍り出た。

でも高校生のときぐらいにはクラスで五番目くらいの成績に落ち着いた。

自分なりに勉強したら問答無用にトップになれるほど人生は甘くない。でも、人に強制されたときよりも確実に、自分のポテンシャルは発揮できるということを知った。

その経験からできるだけ、自分のルールで物事をすすめることにしている。自分が楽しく、なおかつ結果がでるのがそのやり方なら、それを続けたほうがいいでしょう。

今僕のやっている仕事も、プライベートも、行間をつくるものばかりだなあと思う。モデルにしている人もいないし、参考文献もない。どうせうまくマネできないし、自分が苦しくなるにちがいない。

企画職なんてまさにそういう世界だし、就活も似たようなものだ。

どんづまりなら、試してみる価値はあるかなと。

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