Youtubeでも話しています【こちらをタップ】

感覚的なものと、論理的なもの。

春の気配は逃すまい。と思って暮らしているはずなのに、やつらの足取りはまるで突風のように吹き付けては、辺り一面をライトグリーンに染めていく。

足利から帰る途中の高速道路で「おや、いつのまに木々の新芽が生えているな」と思ったのが昨日のこと。

てっきり足利だけが気温が高くて芽吹いているのかと思っていたけれど、益子に帰ってきたらこちらもすっかり緑色の芽を出していた。

澄んだ淡い青にパキっとコントラストのきいた茶色が眩しい冬の木々たちの輪郭が、日を追うごとにぼやけていき、華やかな新茶色に染め上がる。

これを過ぎて真っ青になってしまったら、この高揚感は終わり、感覚も鈍くなって夏の暑さを恨めしく思うようになる。このわくわく感は今だけ味わえる、とっても贅沢な一時だ。

真っ青とはつまり、真緑、ということだけれど、未だに芋虫はあおむしだし、濃い緑色を見ると、緑よりも青のほうがしっくりくるなあと思うことがある。本当の青の表現はどちらかというと、藍のほうがしっくりくる。感覚も言葉と似て曖昧なもので、どう使えば正解ということがあるようで無い気がする。

小学生のとき種の色を12色の色鉛筆をすべて使って描いたら先生にやたら褒められた。当時の自分はちゃいろの鉛筆だけを使って描くことに飽きただけで、深い意図はなかった。表現力という意味では正解かもしれないけれど、ちゃいろだけでも、12色でも、それがいいと思ったらそれでいいのだ。

最近とみに忙しく、曖昧なもの、感覚的なことを排除する、極めて論理的なことをこなさなければならず、そのバランスでなのか、感覚的なことに没頭できる作家さんをとてもうらやましく思う。

緑色を青といっても、茶色を12色で表現しても、感覚で判断される世界。その世界には逆に「答えがない」というもっと難しい問題が存在するのだけれど、今こうしてがんじがらめになってみると、それもそれでいいなあと思ったりする。

今日は久々に自分で編んだかごバッグを使って通勤して、僕には論理的な世界と、感覚的な世界どちらも必要なんだなと改めて思った。でも自分の軸足をどちらに置くのか。その答えは生まれてこのかた、まだ答えが出ていない。

その答えは感覚でしか導けないから、困ったものなのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。