2018年7月から12月まで。
浪人以来久しぶりの無所属が終わり、僕の新しい仕事が始まった。
仕事をしていない期間は、間延びした夏休みのように心も体もだらけきってしまうのではないか?と怯えていたが、フタを開けてみたらそんなことにはならなかった。
仕事をしていた時よりも毎日が輝き、充実していた。
自分の心を閉ざして「時間よ、早く過ぎてくれ」と思っていたあの時間は、もうない。
自分の時間を、しっかり自分のものにできていた半年間だった。
・・・
9時から19時まで、日の入りや気温変化がわからないビルの中でPCに向かい、打ち合わせをしていたあの職場と別れ、日本の四季を嫌でも感じる新しい職場に、英語のpodcastを聴きながら、車で向かう。
工房に着くと耳と鼻がツンと冷たくなり、厚着しているのにも関わらず太ももが冷えた。
寒いのは嫌だし体力もないから不安だけれど、僕にはこの景色の方が合っているように思えた。
花火業界の仕事リズムは、おおまかに2種類に分かれる。
朝早く現場に行き、花火大会が終わったあとに筒の回収、掃除、翌日の清掃と、体力の限界に挑むような毎日が延々と続く夏の繁忙期。
そして、その夏の大放出に合わせ、ひたすら花火を作り続ける、製造期。
製造期の中でも、冬の今はもっとも仕事がゆっくりとしている時期だ。
寒いかわりに、仕事も16時には終わる。
その間に三回の休憩。
午前中に30分。昼に1時間。午後に30分。
花火業界の好きなところは、休憩のメリハリがしっかりしているところだ。
危険物を扱うこともあって、動く時は動く、休むときは休む、が徹底されている。
映像業界のような、休憩とも待機とも呼べない地獄のような時間がないことは救いだ。
家に帰り、晩御飯を食べ、風呂に入り、一息ついて時計を見ると、まだ19時を回っていない。
前の職場の僕はまだ、仕事を終えていないのだ。
「時間があればなんでもできる。」
父の言葉を反芻する。
父は40代半ばで、それまでの「安定収入」が得られる仕事から手を離し、本当に作りたいものを作る環境を整え始めた。
収入は減ったが、その代わり時間が生まれた。
その時間を駆使して、父は僕と兄を大学まで養ってくれた。
僕が前の仕事を辞め、新しく花火の仕事を始めると伝えた時に言ってくれた言葉。
父の言葉には、説得力があった。
今の僕は、時間だけは持っている“なにか”でしかない。
大きな夏休みを与えられた子供と同じだ。
海外留学する夏もあれば、もう何度もクリアしたゲームをし続けて終わる夏もある。
睡眠時間が活動時間を超える夏もあれば、休日返上でスポーツに打ち込む夏だってある。
大人は知っている。
夏休みのような自由な時間は、今しか与えられないことを。
でも僕は、大人にこそ自由な時間が与えられていると思っている。
でも、その時間には変換が必要で、その変換がなければ、その時間は自由な時間には見えない。
自分とつながった=意味ある時間に変えなければ、その時間は存在していないことと同じだ。
・・・
まず、職場に一眼レフカメラを持っていくことにした。
カメラが手元にあれば、いろんな写真を撮ることができる。
僕は僕が撮った写真や映像があまり好きではない。
思った形に撮れたためしがないし(モロッコの写真は別)、でもその原因は分かっている。
圧倒的にカメラと触れ合う時間が少ないから、技術とタイミングの勘が備わっていないのだ。
「この瞬間こそ写真におさめたい!」
狂おしいほどの衝動に駆られたその時に限って、手元にカメラが無いことが多い。
しかも、そんな時はたいてい、出がけにカメラを持って行かなかったことを「ちょっぴり後悔」している時だから、なおさら勘を備える必要性を感じるのだ。
朝もやの気配。木漏れ日の輝き。休憩中の同僚の顔。花火玉が乾く呼吸。
夏を除き、ここまで1日1日を観察できる環境もない。
この職場で流れる時間は、すでに変換が済まされている。行動に移せば、すぐに実りそうだ。
こんなケースは稀で、たいてい時間は自分で変換しなければならない。
時間を変換する一つの取り組みとして、フウロと最近「ひとりの日」という取り組みを始めた。
休日の1日を、独立して一人で過ごすだけ。
シンプルだが、これがとっても大事だと気が付いたのだ。
今まで僕たちは、というよりも僕は、フウロとやりたいことも大抵似てるし、同じ体験を共有したかったから、休日はほとんどフウロと一緒に過ごしてきた。
でも、ニウエでヤシガニを茹でている時、はたと思った。
「二人でいることが、一人の可能性を消してしまっているのではないか。」
思い当たる節は痛いほどにあった。
大学時代、フウロと付き合い始めてすぐ、フウロがそれまでやってきた一人の取り組みができなくなっていくことに気が付いていた。
HPも辞め、趣味で描いていた絵も量が少なくなり、周りとの付き合いも減った。
「やったらいいのに。」と言うと、「あんまりやる気がおきない。」と言っていたと思う。
でも違う。あれはただ、たんに「できる環境を僕が作れなかった」だけなのだ。
二人でいると逆に生まれないものもあるということには気が付いていたはずだけれど、実際にその行動をするのには勇気がいった。
世界一周の中で、極限までフウロとの距離を近づけたからできる選択だったようにも思える。
それに、僕にも希望があった。
一人で考える時の「あの」集中力や、思考の広がり方はとても大事なものだ。
高校時代、休日にスターバックスに行って、将来のことを思い巡らしたり、女の子とデートしたらいかにスマートに喫茶店に連れていくか予行練習したりしていたあの時間は、尊かった。
あれこそ、「時間を自分のものにする」そのものだと思う。
僕たちは、「二人の時間」が他の人に比べてもかなり多い方だと思う。
だからこそ、「一人の時間」を少し加えてあげると、生活がより活性化する気がした。
今日は土曜日。
帰国後4回目の、ひとりの日。
僕は今日も欠かさず、行きつけの本屋で本屋や雑誌をめくったあと、タリーズでタンブラーにホットカフェラテを入れ、音楽を聴きながらこうやってブログを書いている。
時間は変換されてきている。
あとは、変換された時間の中でやったことが、生活に繋がる価値を生み出すのを待つのみだ。
「結果はあとからついてくる。」
恵子さんに言われたその言葉をお守りのように胸に抱えて、今日も歩む。