「明日の銀杏BOYZのライブに行かないか?」
そのLINEが届いたのは、昨日の夜のことだった。
一瞬止まり、すぐに行くことを心に決めてから、フウロに一応確認した。
答えはやっぱり同じ、行った方がいい。
そう、行った方がいいに決まっている。
なぜなら、彼と僕は、6年前に銀杏BOYZを通して知り合ったからだった。
去年には一緒に峯田さんにインタビューするという体験までした。
その彼と一緒に、人生で初めての銀杏BOYZを見る。
僕たちには今、圧倒的にお金が足りない。家賃を払う余裕だってひいひい言っている状況だ。
だからこそ、というのは破滅的な考えかもしれないけれど、何かおおきなものに試されている気がした。
「君はどの選択をとるのか?」
僕は選んだ。
そして、今飯田橋から九段下に続く歩道を息を切らせながら走っている。
東京の18時は、僕の住む埼玉の夜とは桁違いに暖かく、まるで秋のように感じられる。
18:33。
開演は18:30。それでも、僕は不思議と開演に間に合う気がしていた。
このタイミングでLINEが鳴り、明日銀杏BOYZの2回目の日本武道館公演があり、6年来の清算のように彼とライブに行くのだ。
この流れは、うまくいかないはずがないのだ。
旅を経て、僕の中には大きな流れが見えるようになっていた。
その無責任が勘が頭の中で叫んでいた。
「このLIVEは素晴らしいに違いない!」と。
・・・
僕はアリーナ席の真ん中にいた。
峯田さんの顔が画面越しでなくても、しっかり捉えられるほどの距離だった。
ほとんどの歌詞を丸暗記している演奏なのに、一緒に歌わなかったのは人生で初めてだ。
今まで、僕はLIVEに一体感を求めていた。一緒に歌い、手拍子をして、一体になるその感じが好きだったからだ。
でも、今日の僕の気分は、心の中で歌い、峯田さんのその声を、ギターを、ベースを、ドラムをしっかり味わいたかった。
彼らの人生がぼうぼうと燃えているその音を、僕の声で邪魔したくなかった。
途中にBO GUMBOSのKyonさんが出てきた時には、あまりに驚いて目を丸くしてしまった。
まさに行かなければならないLIVEだったなと自分の選択に胸がざわざわする。
朝から働き、武道館まで運んだ体は、少し重たかった。
ふらふらと揺れながら、峯田さんの歌声が自分の中に染み込んでいる感覚を味わっていく。
ふと隣を見ると、彼もまた、みんなのように手を突き上げたり、乗ったりすることなく、時々頭を抱え込んだり、難しい顔をしながら聴いていた。
不思議なやつだなあと思いながら、いつの間にか僕と音楽と観客の境が消え、僕はここでないどこかに飛んでいった。
・・・
MCの中で峯田さんが言っていた、音楽と情景の話を思い出す。
僕にとって、銀杏BOYZの歌は高校時代の情景そのものだ。
漂流教室を聴くと高2の時の悲しい思い出が見え、夢で逢えたらを聴けば僕は真夏の夜空の下に居る。
そのフレーズが武道館に響き渡るだけで、僕の体は足先から頭のてっぺんまで、身震いする。
月日を感じ、今の感情を味わい、銀杏BOYZの軌跡に想いを馳せ、左斜め前の初老夫婦を観察し。
LIVEで音を楽しまなくなったのはいつ頃からだろう。
飽きっぽい性格だからか、音楽LIVEの中で僕はよく思考の旅をする。
いつの間にか音楽とステージが遠くに離れ、身近のこと、フウロのこと、みんなのこと、人生のこと。
いろんな考えの巣を飛び回っては、音楽から得た答えを一つ、一つと置いていく感じ。
今日のLIVE中に感じたものは、今までとはまた違う感情だった。
これはLIVEであって、人生なのだ。
峯田さんという人の人生の煌めきの中に、入り込んだ一つの星のようなものだ。
数百とあるLIVEステージとは意味合いの違う、人生での節目となるもの。
僕たちの披露宴や、世界一周のような、人生の軌跡に残るもの。
その日を共有しているのだなと、音に揺れながら思う。
・・・
「世界が一つになりませんように」
今回のLIVEのそのタイトルを知り、曲が全て終わった後、僕の中に残ったのは、僕は僕の世界を生きていこうという再確認の気持ちだった。
ちょうど昨日、僕とフウロは今年3月までに成し遂げる大きなことを決めたところだった。
僕たちが、僕たちの人生を全うするために「やらなければいけないこと」に向き合って、生きていく。
敵は外にはおらず、全て自分の中にある。
甘えても、ダラけても、全力を出しても、誰も何も言わないし、言う必要のない世界。
その中に自分の幸福は眠っているのだと気が付いたのだ。
僕には、峯田さんが紡いだこの言葉が、自分の世界で出した答えに正直に進んでいくことの大切さを語っているように聴こえた。
世界平和は唄えば生まれるものではない。
一人一人の中に自分があって、自分を全うしていく先に、世界平和の状況が生まれるものなのではないかと思う。
誰かが言った言葉を盲目的に信じることで生まれる幸せは、幸せとは違う何かではないかと疑っている。
もっと真実は泥臭くて、ごまかしがきかなくて、だからこそ向き合えば必ず結果が出るシンプルなもの。
僕たちの中にある世界を信じて生きていくこと。
みんなの頑張りは希望の糧にすること。
峯田さんの歌声は、そう言っているように聴こえた。
・・・
帰りには時間がない中、友とスパゲッティをすすりながら溜まった話の積み木を下ろしていく。
友が生まれた子供が20歳になるまでに、毎年プレゼントする予定の本を20冊買った話なんて、本来ならその話だけで一晩飲めるような話を、あんな短時間で済ましてしまって勿体無い。
ついつい急ぎすぎて、自分でも何を言っているのかわからなくなりながら。
おみやげを渡したり、出産のお祝いを伝えたり、世界一周で得たものの話をしたり、僕とフウロが見つけた答えの話をしたり、これから作ろうとしているイベントや作品の話をしたり。
結局僕の中には今何も残っていないように思えるけれど。
でも、きっと今日あそこで話しておいたことに意味がある。
それは希望ではなくて、何か確信に似たなにか。
「2019年上半期に、僕たちはなにかをしなければならないんだ。」
僕の根拠を何一つ伝えられない確信に、友は真剣に答えた。
「俺は2018年までが闇で、2019年はもっとも忙しくなる年らしい。」
多分、僕も彼も、この一年は大切な年なのだ。
その年の始めを、銀杏BOYZで始められたことに意味があるのだ。
今のところ、それが答えのような気がする。
・・・
いそいそと別れを告げ、有楽町線に乗る。
朝五時半に起きている体は、いつもなら寝ている時間ですよ〜!と悲鳴をあげている。
目をつぶろうと思ったけれど、ふと思ってPCを開く。
オフラインでも、文は書ける。
呼吸をするように、考え事をするように、今日のLIVEのことを振り返る。
そろそろ書き終えそうだ。
今やらなければならないことを、やった気がした。