「どうだい?世界旅行と自由になっている気分は!」
彼からそんな軽快なメッセージが届いたのは、スリランカ:ウナワチュナで泳ぎ疲れ、フウロと二人でだらだらと過ごしていた宵のころだった。
僕が大学生だった時に出会った友の中で、今でも連絡を取り合う人は指折り数えるくらいしかいない。
そのうちの一人である彼とは、これまた数少ない、人生や未来や自由について語り合える稀有な友だった。
「旅が少しでもよくなればと願ってるぞ」
そんなメッセージとともに、彼は新曲を送ってくれた。
今すぐ扉を空けて駆けて行きたくなるような、旅の曲だった。
その曲の名前は、Summer of loveと言う。
・・・
ギターのリフレイン。
その音を聞いていると、ふと成田に立つ自分を思い出した。
世界一周の旅のスタート。
家族とフウロと共に、フライトを待つために屋外の待合室で会話した。
そんな旅のスタートのわくわくした気持ちと、少しだけ不安な気持ち。
この曲には、旅が持つポジティブな想いが封じ込められているようだ。
見慣れたウナワチュナの寝室がやけに新鮮に、そして神聖なものに見えた。
「未知との遭遇」
サビの部分で繰り返されるそのフレーズは、まさに世界一周を企てる僕たちのことを思い出させた。
だが、あの時Summer of loveを聴いた時に、新鮮であるはずの道への興味がいつのまにかすり減り、日に日に摩耗していたのを感じた。
希望しか感じられない、輝きに満ちた目を携え、あの日日本を旅だった僕とは、明らかに違う自分の疲労感に気がつかれた。
如実にそれを感じたのはスリランカでの日々だった。
スリランカを滞在する中で、いつの間にか新しい出会いとの恐れを積み重ねていた。
あれほど望んだ世界一周が重荷に感じ、いつしか終わりを意識するようになっていたのだ。
途中まで書いたこの記事も筆が止まり、なにもかもが流れるままになっていることを止めることもできなくなっていた。
いつの間にか国は変わり、4カ国を股にかけていた。
・・・
スペインに降り立ち、マドリッドを経て、バルセロナの東に広がる乾いた青空を見た時、心に暖かい風が吹き込むのを感じた。
「心はいいと思ったものを正直に反映するんだ。」
旅の前には当たり前のようにわかっていた理(ことわり)に気がつかされる。
マドリードは肌に合わなかった。スリランカも然り。
トゥヴァは一生に残る素敵な国だった。
それでいいんだ。僕の中に自然と生まれた優劣を否定する必要はない。
心が動いた時に、その心の動きを愛しむ心を持っていたい。
・・・
気がつけば、旅をして1ヶ月と半分の月日が流れている。
未経験の長さ、僕らは旅をしている。
これもある意味、道との遭遇だ。
旅人と言えるレベルの期間旅をすれば、今までにない感情だって生まれるということだ。
それが生きるということなのかもしれない。
バルセロナで酒をあおりながら、そんなことを思った。
僕たちの旅は、永遠に夏だ。