結婚して5年、28歳。
まあまあ思うように生活できることもあれば、大学時代にはなかった苦渋を舐めることもある。
みんな人生のことを少しずつ、本気に、真面目に考えようとする時期に、いろんな環境や性格が災いして、二周分くらい先回りして人生とはなんなのかを考えているような気がする。
20代とは、複雑な年齢だ。
僕の周りで結婚している人はまだまだ少なく、家庭を築いていくことや、人生について死について同じ目線で語り合えうことは難しい。
僕が独身時代の思考回路を半分くらい忘れてしまったように、結婚している人たちのことは、やっぱり結婚してからでないと語り合うまでのところには到達できないし、到達などしてはいけないと思う。
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クラフトフウロの出店を終えたら、次の日は図書館に行こうと決めていた。
出店はマラソンのようだ。普段起きない時間に目覚めて、フウロと一緒に下界に降り、はじめましてを延々と続ける。
人と話しているときは気づかなくとも、出店を終えたあとは目が半分くらいしか開かないほど心も体も疲弊していて、終わってからこの感覚をほおっておくと、心がどんどんマイナスの方に引き込まれる。
だからこそ、出店の次の日の過ごし方が大事だとフウロと相談して、今回は図書館で出会いを探すことにした。
どうしてももう一度読みたくて、宮下奈都さんのとりあえずウミガメのスープを仕込もう。を手に取った時に、「人生の道しるべ」が目に入った。
今の僕たちに、じりじりとしみる、人生のことが書かれていた。
宮本輝と吉本ばななさんにあるのは、作家という共通点よりも、人生の捉え方の共通点なのだろうと感じた。
- 作家の資質
- 人間の成長とは
- 人生の達人
- 父として、母として
- 心と体を健やかに
- 「死」はいつも身近にある
- 生きること、書くこと
このテーマで対談ができ、対談に耐えうる示唆がある人生も、そう多くはない気がした。
ふたりの言葉の端々に、「今、僕とフウロが苦しみながらも信じて歩んでいる人生の方向は間違っていないのだ」と、思えた。
たとえそう思えたからといって人生はあいかわらず苦しいままだけれど、僕とフウロよりもふた回り以上離れた、書かずには生きていられない人たちが人生の重みをもって語る言葉には、ほっとさせてくれるものがあった。
同時に、僕たちにはこういうものが五感で感じられる形で必要なのかもしれない。
本文の中で「精神年齢の上がらない20代・30代は小説を読むべきだ」ということが書かれているが、僕たちの歩んできた時代において、文字から頭を働かせ、思慮し、人生に活かしていくという経験は圧倒的に足りない。今からそれをやろうとしてできる人は、きっと少ないと思う。
そのかわり、五感で感じるものへの感受性は鋭敏のような気がする。
ライブを見ていて、講演をしていて思うのは、没入を求めているのではないかと思うことだ。
他者からは見えない思考の働きが、現実体験によって深まる。
それは日々誰でもかんたんに、食べやすい形で提供される情報に触れているからこそ生まれる飢えのようなものなのかもしれない。
人生で積み重ねた、独自の価値観を真ん中に出し合い、互いを尊重して高め合う存在は尊い。
そんな存在が、20代の僕たちにこそ必要だと思った。