「下の世代に焦りしか感じない。あいつらはもう答えを知っているんだ」
久しぶりに会った友人は、そう言った。
仕事柄いろんな人に会う彼は、僕たち29歳より一回り下の世代に危機感を持っていた。
大谷翔平、久保建英、堂安律。スポーツ選手を思い浮かべて苦笑する。
彼らは僕たちのような過渡期の世代を超えて、最初から使いこなされた道具が与えられていた。
Youtubeも、スマホも、思春期には全てもうあったのだ。
でも、と彼は言った。
「あいつらにインタビューしても、なんか面白くないんだよ。葛藤がないから」
・・・
家に帰ってYoutubeを流す。
地球の裏側で流行りはじめた音楽もすぐ手の中に収まる。
最近のYoutubeはやたら僕に、世界にいるティーンたちが作る音楽が流す。
Another one of those daysという曲が流れはじめて、僕の手は止まってしまった。
肩の力が抜けた無駄のないおしゃれな曲に、思春期特有の甘く苦い歌詞が載っている。
一瞬心地よい波のように聴こえる音楽にもやもやとした重力のようなものを感じて、その日僕は眠れなかった。
次の日も何回もAnather of those daysを聴いて、ふと親友の言葉を思い出した。
あわててCAVETOWNの経歴を調べると、1998年生まれ。彼もまた20歳だった。
・・・
カオナシは海外圏では「no face」というらしい。
no faceは海外ではびっくりするほど人気だ。最近のティーンがアップする映像には、決まってジブリのサムネイルが使われている。
いわゆるオタクだけではない、なにかもっと大きなムーヴメントが数年前から起こっている。
「No Face is the best thing that was created together with cavetown」
というコメントを見てはっとした。
この気だるさは、ジブリを観た時に起こるそれだった。
青々しく・果実味の溢れる青春ではない。
甘くて深くて、突き詰めたところに絶望が混じっているものが、10代にこうやって形にできてしまうことは素晴らしい。
その素晴らしさを超えて、怖くてたまらないことではないか。
28年生きてきて、ようやくほんのり分かってきた人生の理が、すぐ目の前にあるような。
頭では作れる、でも心も体もまだ大人になってはいないではないか。
経験せずとも知っているような気持ちにはなれる。
けどやっぱり人生はそんなに単純であるはずがなくて、何かをすっ飛ばした分だけない隙間があるはずで、でも空白地帯に見えている土地に大事なものが埋もれているなんて当の本人たちが気が付けるはずはない。
あまりに早く到着しすぎて、味気なく感じないのだろうか。
僕なら怖い。怖くて、曲を作るのをやめてしまうかもしれないし、ひょっとしたら死んでしまうかもしれない。
でもこの強烈な引力に抗えなくて、僕は今日もこの曲を聴く。
こんなことあってはならないと思いながら。
楽しい気持ちになるはずないと思いながら。