困っていた。
今やることを、今やるということは気持ちは変わっていない。
時間もある、心の余裕もたぶんある。
でも、この拭えない不安はなんなのだろう。
僕はその不安の正体を、あの手この手で調べたはずだった。
たとえば、断食体験の時に和尚さんに教えてもらった言葉。
「人は、先の分からないことに不安を覚えるのです。」
ほかにも、脳科学セミナーで教授に教えてもらった知識。
「新しいことにチャレンジすることは、脳に負担をかけるということ。負担をかけるというのは、すなわち、カロリーを消費する、ということです。古代の人間からすると、カロリー消費は死に直結する大変なことだったので、脳はそのことから退避するためのシグナルを出します。それが、あきらめや、倦怠感なのです。」
知っているし、理解している。
それを乗り越えた先に、やはりやってくる不安というのはなんなのだろう。
今進んでいる道の先に、大きな壁があるような気がして、歩くことも辞めてしまいそうになるような、そんな休日を過ごしていた。
・・・
今日の朝も、あまりよくない目覚めだった。
しょうもないことから、フウロとの会話もギクシャクする。
ああ、この道の先は行きどまりだ、と気がついた時には、二人でそちらに歩き出してしまっていた。
まだまだ朝だ。今日も書かなければいけないのに、もうこの袋小路から戻れない。
どうしようどうしようと思いながら、ふと、フウロに本を読んでもらおうと思い立った。
ここ一週間感動しきりで、僕を支えてくれていたエッセイ本の、最後に書かれている書き下ろし短編だった。
そのタイトルは「ウミガメのスープ」といった。
・・・
歩いている道は確かに、行きどまりだったはずだ。
でも、その下から金塊が現れた。
その金は、僕たちの本作りにはなくてはならないもので、いや、本だけでなく人生においても大事なピースだった。
「これも巡り合わせかもしれないね。」
とフウロは言った。
今の状況のキッカケになった本は、僕が数週間前にたまたま本屋の片隅で見つけたものだった。
本作りがにっちもさっちもいかなくなった時に、自分たちで決めた「一人の時間」に則って、僕は本屋に行った。
そこで、習慣にしている本屋巡りを敢行し、普段は見もしない本棚を練り歩き、なんとなくエッセイ本を見て回り、なんとなくタイトルに惹かれて手に取ったのがきっかけだ。
なんとなく、が続きまくるのもすごいことだが、その前提にしっかりと自分たちで決めたことが根付いているのが嬉しくも恐ろしい。
そして、フウロもまた、最近ものすごい勢いで本を読んでいるのだった。
しかもその本の巡り合わせに、フウロも驚いているらしい。
全く別の経路で入手した二冊の本。
最初に読んだ本の次に読んだ本の解説に、最初の本の著者がいたり…なんてことが頻発しているそうだ。
そして、その本から僕たちの本に大事なピースが生まれた。
僕たちに見えている行きどまりや抜け道は、大きな視点で見たら、いい流れの方に向いているのかもしれない。
そして、行きどまりのように見えても、本気で歩む上で進んだ道には、目に見えないところに大切なものが埋まっているのかもしれない。
少しだけ、自分たちの毎日に自信が持てた出来事だった。
とりあえず、僕たちもウミガメのスープを仕込もう。