「ビールの世界一の祭典がドイツにあるらしんだ。オクトーバーフェストっていうんだけど、一緒に行かない?」
中学生の時に、僕は全寮制の学校に通っていた。
その寮で同室だったことのある彼に誘われたのは、大学4年生の夏のことだった。
すでに就活を終え、自由の身最後のこの体をどこの地に飛ばしてゆこうか、考えていたところだった。
意気揚々と航空券のチケットを取り、人生初のヨーロッパを夢見て準備をしていたちょうどその頃、彼はもう一年大学に留年しないためにはヨーロッパ滞在予定の日程にどうしても授業にでなければならないことが発覚し、航空券のチケットをやむなくキャンセルした。
僕のヨーロッパ初の旅は、望まない形でひとり旅へと形を変えたのだった。
5年後の同じ季節に、スペイン:バルセロナでブランデーを片手にPCのキーボードを叩くとは思いもしなかった。
赤ワイン一本と、一杯のブランデーを流し込んだ酔いの心地よさが体を包んでいる。
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スペインという国がなんとなく好きになったのは、小学生のころだった。
NHKのドキュメンタリーに触発されて、小さなメモ帳にマジックでサグラダファミリアを一心不乱に描いた。
僕にはめずらしく、それはとてもよく描けた。
親というは不思議だ。
どこでどのような形でそれが親の手元に渡ったのか今の僕には思い出せないが、成人をすぎたころ、当時僕が描いたサグラダファミリアの絵を見せてくれた。
あんなにうまく描けたと思ったサグラダファミリアは地面から斜めに傾いていて、不恰好だった。
でも、その絵にはその建造物への興味がしっかりと反映されているようだった。
サグラダファミリアという建物への興味は、大学になっても変わらなかった。
オクトーバーフェストを楽しんだあとは、陸続きにヨーロッパ諸国を旅することに決めた。
最初にいくことを決めたのは、スペイン:バルセロナだった。
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フウロと一緒に見上げたサグラダファミリアは、不思議と初めて見た建物のようだった。
覚えている光景も、iPhoneに撮ったステンドグラスのまばゆきや、サグラダファミリアの脇にあるサブウェイで昼食を食べたことぐらい。
あんなに行きたいと思って、自分で見た光景で、尚且つじっくりと目に焼き付けたはずの光景が、さらりと流れていってしまっていることに、老いを感じた。
同時に、「この景色とフウロと見たかったんだな」という当時の自分の想いも思い出した。
だからさして記憶にとどめなかったのかもしれない。そう思うことにした。
夕方のサグラダファミリアは陽が傾いて、受難のファザートに陽が差していた。
それでも、生誕のファザードについているステンドグラスにまで光が届き、館内は神々しい色に光り輝いていた。
17時をすぎたころ、パイプオルガンが鳴りだした。近くにいくと、腹の奥まで震えるような重低音が体を抜ける。
教会全体がオルガンの奏でる音を包み込んで荘厳は音に変えていた。
「ああ、自分は世界旅行をして、バルセロナまで来たんだ。」
世界一周の中ではなかなか実感できない旅への実感が体に染み込んだ。
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家に帰ると、テーブルに見慣れない食べものが並んでいた。
メロン、バナナ、いちご、ラズベリー、ブラックベリーが乗ったフルーツポンチ。
生ハム・チーズが乗ったパン。
そして、分厚くビターチョコがコーティングされたケーキ。
宿主が僕たちのために用意してくれた、手作りのおもてなしだった。
僕たちはヨーロッパでの滞在を安く済ませるために、AirBnBを利用していた。
AirBnBとは、現地の人たちが普通に暮らしている部屋を間借りするサービスだ。
ホステルでは味わえない現地の暮らしにより近い生活ができるメリットはあれど、一種お見合いな面が強く、ホストの生活感に自分たちが合わなければ結構しんどい。
AirBnBを利用するときは、その家に過去宿泊したゲストのレビューが最大の参考になるわけだが、バルセロナで今宿泊しているこの家は、レビューがなんというか…とてもおかしな家だった。
「彼は私たちのために毎日サンドイッチを作った」
とか、
「彼のプレゼントを私たちは受け取るべきだ」
とか。
外国語を日本語訳している時に起こりがちな誤訳は差し引いても、どうやら他の家とは違うレベルで、ホストがとてもいい人だということは分かった。
マドリードの家が僕たちにとって「お見合い失敗」的な家だったため、話半分ぐらいに自分たちの基準を下げたうえで訪れたバルセロナの家は、やはり評価にたがわぬ素晴らしい家だった。
テーブルにはミネラルウォーターのボトルが2本。フルーツジュースが2本。ココア1本。くだものいっぱい。
ベッドの隅にもチリ一つない清潔さ。
英語喋れないはずなのに、無駄ない部屋の説明を終えると、まるで気配を消すように自分の部屋に戻っていく主人。
そして、極め付けがこのご飯たちだ。
彼は夕食をご馳走した次の日にも、あまりある果物を使ってフルーツポンチを振る舞った。
押し付けがましさゼロの謙虚さで、最大級の美味しさを提供してくれた。
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バルセロナに降り立ち、数日暮らすことで、ある一つの答えが僕の中で生まれた。
今まで旅をして来た国の中で、スペインのバルセロナはとても好きな街だ。
それは、僕が日本の中で山形と長野と沖縄の伊江島が好きな感覚と似ていた。
大きな国単位で好きか嫌いかを計ることはできず、その中のピンポイントの場所で人は好きか嫌いかを区別する。
もっと細かくいえば、僕が好きな街はバルセロナの中でも、St.Adriaなのだ。
極端に言えば、僕の頭の中のSt.Adriaを構成しているのは、青く緑に波打つ海と、無限の売り場が広がるスーパー:Alcampoと、Juan Carlosっていう人の家だ。
頭の中の粒子は粗い。
色々な物事は地名や名前で定義されたものでしか判断ができない。
でも、経験は言葉にできないような物をいっぱい与えてくれる。
それが、意識をもっと細かくして、その人らしさを形成するように感じる。
僕の中のスペインがそこではじめて生まれてくる。
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僕の目の前にはチョリソーのサラミが置いてある。
Alcampoのお姉ちゃんが勧めてくれたこのサラミは、もはや食べ物を超越している。
香りは、まるでちょっと大きなスーパーで買った打ち上げ花火を一発打ち上げた時に、辺り一面に薫るけむりを吸い込んだよう。
口に含むと、目を閉じずにはいられない。
ゆっくり咀嚼すると、僕の意識はその場を離れ、宙に浮く。
僕は小学生の頃の人生そのものだった、家族のキャンプで訪れていた伊豆に飛ぶ。
東京で買い貯めた花火に火をつける僕がふわっと浮かび、消えていく。
記憶を燃料に燃える食べ物のよう。
美味しさを通り越して、食べ物がここまでの力を持っていいのか怖くなる。
ブワッと鳥肌が立つ。
今感じていることが、世界一周をしたいと思った当時の僕が求めていたものだったような気がした。
ブログを読ませてもらって、自分の店を出す前に2週間スペインに行って、バル巡りをした時に建造物も観て回ったのを思い出したよ。
何ヶ所か廻ったんだけどバルセロナは近代と中世が融合してて楽しかった。料理を感じる為にバル巡りをしてたけど、働いている人々の仕事に対するプライドの持ち方が物凄く強いのがビンビンに伝わったのを覚えているなぁ。
一般の家庭にステイ出来たのはとても良い経験になったのではと思うね〜
引き続き楽しいブログを!
コメントありがとうございます。
バルセロナはなんだか不思議な土地です。
料理もシンプルな作りが多いですが、食べてて思わず唸ってしまうような素晴らしい味がします。
こちらではほぼ自炊していますが、食材を見るとなんだかワクワクしますし、見た目以上の美味しさで作りがいがありました。
旅先で見かけるような普通の家の中からみるスペインは、またちょっと違って見えます。
一般家庭の生活に溶け込めるのは民泊の一番の魅力かもしれないですね。
いつもブログ見ていただいてありがとうございます!引き続き発信していきます^^