毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

2018年12月のこと

12月9日までは、世界一周という人生の中にいた。

12月10日からは、世界一周をした後の人生が始まった。

12月は僕にとって、長く、考えることの多い月になった。

思えば、大学の時からそうだった。

卒業までに、後悔がないように、未完の映画の編集をしてみたり。

いきなりトレンディドラマにハマって年越し前に全部観終えたり。

心身の整理のために、残りの月日を使おうと焦り、行動に起こす月。

それが僕にとっての12月だった。

それが、世界一周を終えてから、少しだけ位置付けが変わった。

帰国後には、その日に与えられた世の中的な価値よりも、僕の人生に当てはめた上での1日1日の価値に目がいくようになった。

クリスマスがあろうと、大晦日があろうと、それは僕の人生に与えられた1日の一つ。

僕の人生の中では、12月24日や12月31日よりも、12月9日や、12月18日や、12月27日や、12月29日が尊かった。

僕の人生のなかで、尊くて、光った日のことを忘れないように。

書くことで体に染み込ませておきたい。

 

–  12月9日  –

帰りのカンタス空港の便で夕日に染まった空を感じながら、耳に入り込んできたPUMPEEのタイムマシーンのことを、僕はずっと忘れない。

世界一周を終えると言うことはどういうことなのか。

僕はどんなことに涙を流す人なのか。

それがわかった瞬間だった。

世界一周の持つ素晴らしさは、人生の素晴らしさだった。

僕に与えられた環境の中で、本気で頑張って、運も味方して、ようやくもたらされる奇跡的なものに気がつけると、人はこういう気持ちになるのかと感動した。

僕が自分の人生を見つめ、誘いを断り、フウロと信じて生きてきたその日自体に価値があるということに気がつけた日だった。

僕はあの日から、「世界一周は虚構だ」と胸を張って言えるようになったのだ。

大事なのは世界一周の行動ではなく、その人にあるものをやりきる日々に価値があるということ。

マーケティングの講義をする9日前。

思えば、僕はあの時、僕の信念を確固たるものにしたのだ。

あの機内で、映画観たりしながら寝落ちしなくて本当によかった。

「その一瞬に世界一周の理が詰まっているよ」なんてノヴォシビルスクにいた時の僕にささやいても、きっと聞く耳を持たなかっただろうな。

だからこそ世界一周の日々には意味がある。

知っていることの強さを強く感じる。

世界一周を終える直前に感じたこと。これから世界一周を目指す人へ。

 

–  12月18日 –

見える景色が明らかに変わった空気は感じることができても、そのことを受け止められず、卑屈になる。

それが今までの僕だった。

だから大学時代、人生で初めてグランプリと呼ばれるものを与えられた時にも、僕は僕の頑張りを受け止められなかった。

「こんなのなんの価値もないんだ。」

その言葉で結果を追い求めた先にあるものを否定することは、けれども、僕自身を否定することになって苦しかった。

日藝の広告マーケティング講義が終わった時の「あの感覚」は、達成感はあったけれど、今までの卑屈な気持ちが全く湧いてこなかった。

いつものように緊張で少し胃が痛く、80分話し続けた喉はガラガラで、練習も合わせて2回プレゼンをやり通した体には全体に疲労感があった。

じわりじわりと下の方から上がってくるような達成感を感じつつ、僕はあの日、前を向いてもう歩き始めていたのだ。

それは、1月2日になった今も変わらない。

あの日は僕にとって、人生の深い轍となった日だった。

あの日は素晴らしい日だったことは、きっと90歳になった僕が振り返っても否定しないだろう。

でも、振り返ることなく、歩いていける。

それはやっぱり世界一周を終えた僕に身についた「強さ」だったし、人や世間から認められた類ではない「自信」がもたらした力だった。

今、僕は、次の「僕たちがやるべきこと」を成し遂げるために、歩き続けている。

達成感を感じたあの日を過去の産物にするのではなく、あれを「ステップ」にするための人生を歩んでいる。

そうすれば、あの日はあの日のまま、輝き続けられる。

それがそのまま幸福な人生を生み出していく。

日藝で「夢を叶える法則」についての講義をしてきました。

 

–  12月27日 –

フウロの人生の友が家に来た日。

幾度となくうちに来てくれる友が見せてくれた顔が、忘れられなかった。

その友は、ロシアにいる時にフウロにLINEを送ってくれた。

旅中に僕たちに連絡をしてくれる人は、親や親族を除くと、さほど多くはなかった。

彼女は僕たち夫婦が旅に出るという選択をしたことについて肯定しつつも、自分が行動をできないことについて悩んでいた。

自分にはその選択はできない。やりたいと思っても恐怖があって進めない。

だから二人に会うのは刺激をもらえるけど、ちょっぴり心配。と。

12月27日。

僕がうどんを打ち、フウロがかき揚げをあげている時、友がひそかに「作りたいと思っている」作品の話をしてくれた。

親にも相談をしていない夢。

とても素晴らしい夢だった。

僕たちは絶対にやったほうがいい。と友に伝えた。

でも、少なくとも僕には、友はそれをすることに悩んでいるように見えた。

美大に行けなかった自分が質の低いものを作ることで、周りから変な目で見られないだろうか。

今の仕事をしつつ、作るための勉強や道具などのハードルを乗り越えられるだろうか。

ご飯を食べた後、僕は12月18日の講義の動画を友に見せた。

フウロがボイスメモで録ってくれていた僕のプレゼン音声に合わせて、410枚のスライドを表示する、シンプルだが80分にも及ぶ動画だ。

友はじっくりそれを観てくれた。

次の日。フウロが友を車で駅まで送った時、友から、「頑張ってみる。」という言葉をもらったらしい。

とても嬉しい出来事だった。

自分たちと密接に関係している人の人生が、その人の思う方向にいける手助けができれば素晴らしいけれど、それは関係が近ければ近いほど難しくなる。

人の人生が僕たちがきっかけになっていい方向に向かうなんて、そんな素晴らしいことはない。

大切な友であれば、尚更だ。

どんなに近くにいる人でも、自分以外の人を自分の意志で動かすことはできない。

それは、親でさえも、子でさえも、フウロでさえも不可能だ。

だから僕たちも、友の人生を変えようと思っても、そんなことはできない。

唯一できることは、その人の姿勢を変えること。

一人一人そのスイッチは違い、決まった説明書なんてものは存在しない。

飲めば必ず痩せられる薬も、観るだけで勝手に幸福になる動画も世の中にはありえない。

全ては、その人が行動した上に成り立つのが人生だ。

行動こそが一番大事で、一番ハードルの高いもの。

僕たちには、その「行動」を生み出す何かがあるのかもしれないし、同時に、この家にもあるのかもしれないと思ったのはこの日がきっかけだった。

やる気を生み出す人に、僕はなれるかもしれない。

 

–  12月29日 –

家に3人の友がやってきた。

一人はフウロの小学校からの親友。

一人は大学時代の戦友。

もう一人は、7年ぶりに話すレベルの、間接的な戦友。

不思議な取り合わせだったけれど、終わってみれば集まるべくして集まった邂逅だった。

みんないろんなところで、いろんな方面に、自分の人生を燃やして生きている人たちだった。

得る情報は皆ちがうし、性格も好きになるものもちがうのだけれど、どこかに共通点がある。

この3人にも、講義の動画を見せた。

ある意味で、一番感想を聞きたい人たちだった。

なんて感想を言われるか怖いなあと思いながらも、でも心のどこかでは分かっていた。

「この動画を悪いと言うはずがない」

だってその動画の生き方は、その人たちそのものだったからだ。

僕は僕の形でそれを伝える形に変えたけれど、自分を生きている人は言語化していないだけでそうやって生きているのだ。

僕は口から生まれて来たような人間だから、口を使う。

一人は、「俺は国境を無くしたい。だから音楽をやっている。」と言っていた。

大事なのは、自分の中に生まれた大義なのだと思う。

自分という国で生まれた意志に気づき、尊重し、本気で動き続ける「そのこと」によって人生は紡がれる。

大義に生きていく人には、大義を全うするための機会が与えられるのだと思う。

7年という年月を経て、はじめましてが始めるなんて、まさにそう。

きっとこれは7年前ではダメで、今だからこうなったのだ。

2019年は、僕たちに何かが与えられる年なのだと強く感じた。

だから、僕とフウロに与えられた「今」を逃してはいけない。

焦る必要はない。今できることを全力でやる毎日を紡げばいい。

僕たちの大切な人たちは、その僕たちを決して笑わず、応援してくれる。

ああ良かった。このまま頑張ろう。

そう思えた日だった。

 

・・・

 

頭で考えるのと、字で吐き出すのは違う。

字にすることで気がつく想いもある。

だからこれからも、こうやって残しておこうと思う。

ひとりごとが実は一番他人に響くことに、少しだけ気が付いてきている。

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