毎日連載中|夫婦世界一周エッセイ

感動の引き出し

旅に出るまで、あと15日。

とうとうここまで来てしまった。もっとドキドキするかと思ったけれど、今は毎日が忙しいからか、旅に出る実感がわかないまま1日、また1日と時が過ぎていく。

半年間旅に出たことは、まだない。

長くて2週間が最長だ。150日近く旅に出るというのは、スケールが違い過ぎてイメージがわかない。

ふと、18歳の時に働いていた山小屋のことを思い出した。

 

・・・

 

日芸の映画学科を落ちて浪人になった僕は、とても焦っていた。

意図せず浪人なってしまった事実を、意識的に浪人になったことに変えたくて、「浪人だからできること」を探していた。

そんな中頭に浮かんだのが、山小屋で働くという選択だった。

朝早く起きて、9時には消灯する生活。ちょっとやそっとでは山に降りられない環境も、受験勉強には最適に思えた。

通常は一年間の住み込みしか受け付けていない山小屋だったが、その年スノボで骨折した人がいて、数ヶ月だけ欠員が出ていた。

 

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まだ雪が残る4月、上高地に上がった。

午前中のごく早い時間にしか顔を見せない晴空の下、僕は囲炉裏に座り、先輩が丁寧に焼く岩魚を給仕する仕事をしていた。

山に入った時はマイナス6度あった囲炉裏も、日に日に暖かくなっていき、銀世界に緑が芽吹きはじめた。

視界いっぱいに新緑がなびく。川のせせらぎがさらさらと聞こえる。青すぎる空を雲がすごい速さで抜けていく。

目がさめるような自然の美しさだった。

でも、毎日同じ光景を見ていると、徐々に飽きがやってくる。

2ヶ月もすると、あんなに感動した緑も見ても心が動かされなくなり、休日に近くの池に自然を見にいくこともなくなった。

山を降りる頃は、自然の美しさなんて大したことないと嘯くようになってしまった。

 

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もったいなかったな、と思う。

あの時の僕には、感動の引き出しが少なかった。

見たことの無いものを見て、新しいことを知った時に感じる感動。それが全てだった。

だから、初めてフジロックに行った時、ここは天国かと思ったのに、次の年はそこまで楽しくなかった。

初めて行った時に感じた感動を求めて、その姿を重ねようとしたんだから、当然だ。

初めてだからこそ感じる楽しみは一瞬。それだけに捉われると同じものから学べなくなる。そして、非日常を求めてつまみ食いを続けるようになっていってしまう。

付き合う人よりも恋自体が好きで、なんども付き合っては別れるを繰り返す人にも、ちょっと似ている。

 

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2008年の夏に、沖縄の月光荘で出会ったヒッピーが言っていた。

「沖縄になにかがあるわけじゃない。沖縄はみんなが楽しみを求めて来るから、沖縄が楽しい場所になる。だから、東京でもその心をもって暮らせば、毎日の生活も楽しく暮らせるんだ」

知的な感動だなと思った。

年を重ねると、感動を感じるのに、感性と素直な心が必要になる。

それは、味覚のようなものかもしれない。誰でも美味しく感じられる甘みだけでなく、苦味や渋みの美味しさを感じられるようになるには、訓練が必要なんだ。

 

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世界旅行で、なんの先入観もなく見られる「生まれて初めて」はとても少ないだろう。

きっと世界旅行で見るものも、食べるものも、テレビやガイドやトリップアドバイザーで見たことあるものが何度も登場するに違いない。

だからこそ、初めてとは違う類の感動を味わい続けていたいなと思う。

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