実験ではなく実践を積むこと|エッセイ

「世界一周旅行を実現した秘訣は?」
と聞かれるたびに考えながらその都度答えを出してきたけれど、ようやく自分の納得いく言葉が出てきたので今日はそれを書いておこうと思う。

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最近、”実験”という言葉を使う人たちがいっぱいいる。中学生の時にやっていたようないわゆる科学実験的なものではなくて、何かに挑戦する時に「まず実験から」というような形で使われる。

いきなり大きな結果を導き出すのは難しい。まずはスモールスタートで、肌感を感じ取って、ゆくゆくは大きく展開していって…と。

なんだか聞こえはいいんだけれど、なんともいえない違和感を感じる。あえて言葉にするなら「ずるさ」みたいなものなのかもしれない。

それは実験が本番のためでなくて、実験の時点で何かしらが達成されてしまっているからだと僕は思う。

だから仮にその実験が失敗の結果に終わった時とかに、「まあでもこれは実験だから、本番とは違うから。」と言えるし、本番というものが存在しなかったとしても、実験という言葉を盾に逃げることもできちゃう。責任を取る相手もいなくて、それでいて、何かやってるげにも見える。

だから実験ってとっても便利な言葉でもあるんだけど、自分の経験から感じるのは、

「実験の積み重ねでは世界一周旅行は絶対に実現できなかった」

ということだった。

世界一周って、準備も本番もガチでしかない。

会社勤めをしながらお金を貯めることも、旅程を練るのも、危険を想定して予防接種を受けるのも、帰国後の生活を組み立てるのもそう。

あー失敗しちゃった、残念だったでは済まされない問題がそこかしこに転がっていて、結局全てが自分に降りかかってくるものだから、実験だなんて悠長なことは言っていられなかった。

そんななか、僕のやっていたことは実験ではなく、実践だったんだと思う。

一見意味が同じようにも思えるけれど、実験はその都度の結果に左右されないもの。実践はそういった実験を経て、危険も考慮した「小さな本番」だなあと思う。たとえ結果が実験と同じだったとしても、実践でその結果を出すのは全然違う。本番なんだもの。

僕も世界一周というプロジェクトにおいては、やってるげの人ではなく、実際にやった人になることができた。その要因を改めて考えると、愚直なまでの実践だったんだなとしみじみ思う。

実践を重ねていくと自分自身への矛盾もなくなるし、本当の意味で自分のこともよくわかってくる。

今日もまた小さな実践を重ねた。実践したからといって成功するとは限らないんだけど、着実に一歩進んだ感じは心地いい。

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