出発まで、あと8日。
構想9年。実準備1年半。もうこれ以上ないってくらい準備したはずなのに、拭いきれない不安。
準備が足りない気がする。
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旅立つ前にやっておきたいことは、たくさんあった。
帰ってきてからの仕事の準備や、家の整理や、友達と会うこと。どれも中途半端に半分くらいできて、半分はできなかった。
時間はいっぱいあったのに、体が動かない。色んな抗力が働いて、体の自由を縛っているようだ。
僕の頭の中には、今無理することで予定通り出発できないことへの不安が渦巻いている。
体調不良、交通事故、手続きの不備。人生は綱渡り。今こうやって平穏無事に生活できていることが不思議なくらい、日常にはいろんな危険と隣あわせだ。
でも、みんな物事は全部自分たちの都合で決める。でも、自分で決めた予定通りに周りを動かすというのは、とても難しい。
それでも、できる準備をしっかりすれば、人生はいい方向に転がってくれると信じている。
2015年10月。僕たちがあげた披露宴のことがまさにそうだった。
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僕たちの披露宴は、自家製だった。
ウェディングプランナーをお願いせず、埼玉の古民家を貸し切って自分たちで披露宴を企画する。
披露宴に参加した経験は数回しかなかったけれど、当事者ではない結婚式が途中でダレやすいのは知っていた。
せっかく来てくれるのであれば、他に知り合いが一人もいない人でも楽しいと思ってくれるような、楽しい空間を作りたい。
そう思って、おくtoberFESTという名前の、踊りと音楽と笑顔が絶えない披露宴を企画した。
ご飯は外でバーベキュースタイル。アイスブレイクでフォークダンスを踊ったり、大学の繋がりでビッグバンドに演奏してもらったり。
暗くなったら家に入ってしっぽり二次会。各々出し物などを自分たちのペースで楽しむ。
そして、最後に自分で僕たちの思い出の曲に乗せた花火大会プログラム。
全部晴れ想定のプログラムだった。
統計的に晴れが多い日を選んでいたが、1週間前に季節はずれの台風が来たことで当日は雨予報に変わった。
今までの準備が全て水の泡になる…絶望に不安を募らせながらも、最低限の雨状況の想定をして、当日を待った。
当日は、雲ひとつない青空だった。
前日は雨。次の日だったら強風。1日でもずれていたら自分たちが考えたプログラムは成立しなかった。
本当に奇跡のような1日だった。
今でも不思議な気がする。なんであの時あんなことができたのか。
会社に行きながら、どうやったらあそこまで準備ができたのかも不思議だし、僕が見ないところで色んな人たちがうまく立ち回ってくれたおかげで、プログラムも滞りなく済ますことができた。
3年たった今でも、ときどき友達が「あの披露宴は忘れられない」と言ってくれる。僕も人生であんなに感動したことはなかった。それから1週間くらいは披露宴の幻影を追ってぼーっとしてしまうくらい。そのぐらい強烈な1日だった。
でも、実は披露宴にも準備したのにできなかったことがたくさんあった。
本当は僕たちのプロフィールムービーをパラパラ映像で作るつもりで、機材を買って絵コンテも書いたけれど、間に合わなかった。
みんなで踊ったフォークダンスも、本当は音源を録音してみんなで歌えるようにスタジオに入ったりもしていた。
準備が間に合わなくて断念した。でも、当日を終えてみると、できなかったことは必要なかったことばかりだった。
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多分、僕ができる旅の前にできる準備はやり切ったんだろう。準備できなかった部分も含めて、これが限界。
あとは、その時を待つのみ。
いまだに10日後にはロシアにいて、半年も日本に帰ってこないというのが信じられない。本当に今の予算で帰ってこられるのか心配。体調も行き先も、色々心配。
でも、きっと自分が準備してきたものは嘘をつかない。披露宴の時がそうだったように、人生はそういうところは案外うまくできている気がする。
夢に見たところまで、あとは体を持っていけばいい。
うーちゃんとも半年のお別れ。ちょっぴり寂しそうに見えるのは親バカかな。