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あなたはどう暮らしていますか

前の家が気になってしょうがない。これってみんなそうなんでしょうか。

全寮制の学校に暮らしていた中学時代からそう。自分のぎっちりと書類を詰め込んでいた棚が、次の住人はさっぱりと整頓されていたり、はたまた大きく散らかっていたり。

ただの長方形2段の木製棚だけでも、レイアウトは無限大。ゆえに楽しいもの。

流石に社会人になってからは、新しい住人に中の間取りまで見させてもらうことはモラルに反するので外から眺めるだけだが、それでも充分楽しめる。

玄関の出で立ち、洗濯物の干し具合、花壇の整備状況なども、住む人が変われば見事にがらっと変わる。レイアウトは饒舌だ。

新しい住人が住み着いて変化するのは、家の中だけではない。その昔近所と呼んでいた我が家の周りに漂う空気も、一世帯の住民が音もなくすげ変わっただけでも、確実に変化する。

もはや自分はその場に流れる空気を肯定も否定もする資格のない、ただの無関係の人間。近くで旧住宅をジロジロ見るのはご法度なので、家の前をブレーキも踏まずにそっと車で通り過ぎ、スポーツカメラマンばりに一瞬の景色を切り取り、微妙なレイアウトの変化を楽しんでは新しい住人と、昔愛していたその家の安寧を願う。

基本的に、昔住んでいた家は全部好きだ。今思うと気に入らないところは多々あったが、その時の自分を育て、愛してくれた。癒やしの存在であったのは間違いない。

数秒間の逢瀬を批判する人もいるだろうか。それは浮気じゃないかと。限りなくブラックに近いグレーかもしれないが。その子の幸せを祈りたい気持ちは純粋なはず。今カレに出られたらぶん殴られそうだけど。わかってほしい。


4ヶ月前に引っ越した築50年のあの家も、あっという間に新しい住人が入り何気ない日常が営まれていた。

とびきり天塩にかけた代物だった。藁畳をひっぺ剥がし、夫婦で厚さ4センチの杉の無垢板を張って、砂壁にも漆喰を塗った。白茶けた柱も手入れして黒光りしていた。

梅雨時期の木の膨らみを考慮しすぎて、フローリングには5ミリ程度の隙間ができてしまい、夏場はその隙間からゴキブリやムカデが出入りしていたが、今まで暮らした中で、最も好きな家だった。

新しい住人はあの家をどう使っているのだろうか。風呂場の脱衣所にはストーブを置いてるだろうか。魚焼きのコンロは4年住んでも一度も使うことがなかったけど、今は使われているのかな。

障子には、新しい紙が貼られているのか。はたまた、僕たちが最後に貼っていった和紙がそのまま貼られているのか。

いまこうして新しい家で暮らすこの時間にも、あそこで誰かが暮らしている。

それはあの家に限らず、その前に暮らしていた2階建ての激狭の家も、寮の一室も、サハラ砂漠のキャンプ地でも、ニューオリンズの住宅地のベッドでも、トゥヴァのゲルでも、等しく皆が笑って、泣いて、暮らしている。

僕にとって、家のことを思い出すことは、世界の広さに気がつく鍵なのかもしれない。

きっと僕が今暮らしている家のことを思い出す人もいるのだろう。何千年も昔にこの場所で暮らしていた人も、動物も、天国で今あそこはどうなっているかな、と思い起こすものだって。

人生は目に見えないもので、ぱんぱんぎちぎちになっている。それを窮屈と捉えるか、あたたかさと捉えるかはその人次第なのかもしれない。

とりあえず僕は、この新しい家を精一杯愛して生きていこうと思う。

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